この川の向こうに、どんな風景が広がっていたと思いますか?

この場所で、旧森川家住宅を振り返ってみてください。かつて、目の前に広がっていたのは一面の海でした。

そんな小さな港町だった竹原は、江戸時代になると、この海を埋め立てて田んぼにしようと考えます。

しかし、実際に耕してみると海水の影響が強く、作物がうまく育ちません。

困り果てていたところに、偶然通りかかったのが、塩づくりで有名な赤穂の商人でした。荒れ果てた田んぼを見て「こうした場所は塩田に向いているよ」とアドバイスしてくれたのです。

当時、赤穂の塩づくりは秘伝でしたが、赤穂藩と広島藩は親戚関係にあったため、特別にその技術を教えてもらうことができたといいます。こうして田んぼは塩田に生まれ変わり、大成功を収めたのです。

では、なぜ竹原の塩づくりは成功したのでしょうか。ヒントは背後を流れる川にあります。

たとえ今、干上がっているように見えても、満潮の時間になると驚くほど水位が上がります。

その高さは川の護岸の痕跡を見ればわかります。逆に今、川の水が満ちていたら、川底が見えるほど干からびた姿を想像してみてください。

この大きな干満の差こそが、竹原の塩づくりを支えた秘密でした。

潮が満ちるたびに自動で海水を取り込むことで、たくさんの塩をつくる。それこそが、赤穂の秘伝の塩づくりだったのです。

こうして、かつて海だった風景は、塩田が広がる真っ白な景色へと姿を変えました。塩が町を潤し、富を呼び込み、文化を育てていく。潮の記憶は今も、水面に静かに揺れているのです。

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