なぜ、竹原の人には古い町並みを残そうとする気概があるのでしょうか?

ここは、竹原に学問を根づかせた「頼家」ゆかりの場所です。

この地で染物屋を営んでいた頼惟清には、ひとつの願いがありました。それは、子どもたちを学者にすること。

彼には3人の子どもがいました。長男は教授となり、江戸に出て講義を行うほどに成長しました。次男は医者となり子弟を教育し、三男もまた教授として広島の歴史書を編纂するなど、それぞれが学問の道を切り拓いていったのです。

一介の染物屋であった頼惟清が、3人の子どもを学者に育てるという、当時としては無謀とも思える願いを叶えられたのは、学問を尊ぶ竹原の文化があったからこそでしょう。

町には、そんな頼家ゆかりの「春風館」や「復古館」という建物が今も残っています。春風館では学者たちが集い学び合い、復古館では商売の舞台として経済面から学問を支えていたといいます。

さて、最初の問いにもどります。なぜ、竹原の人には古い町並みを残そうとする気概があるのでしょうか?

その答えは、決してひとつではありません。しかし、学問に投資し、品格と誇りを育んできた歴史こそが、その気概を支えているのではないでしょうか。

それは、ただの建物ではなく、先祖代々が歩んできた道のり、積み重ねてきた学びと誇り、そのすべてを宿した結晶なのです。

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