この町には、ある正直な男がいました。ある日、その男は不思議な夢を見ます。
夢の中で地蔵がこう告げたのです。
「私のお堂を建てて供養すれば、この地は必ずや繁栄するであろう。」
男はそのお告げに従ってお堂を建て、新しい土地を開き、塩田を築きました。このことが、竹原が発展する礎となったという言い伝えがあります。以来、地蔵堂は塩田の守り神として大切に祀られています。
北の胡堂と、南の地蔵堂。これらは町の境界であり、結界として町を守る神様でもあったのでしょう。
こうして、江戸時代のはじめから町の北端と南端が決まっていたため、凝縮した美しい町並みが生まれたとも言えるかもしれません。