本島の北にそびえる高無坊山。稜線には削り取られた岩肌が点々と連なり、かつて石を切り出した丁場の跡が静かに残されています。この丁場を取り仕切ったのは、細川家という大名。数百人規模の石工たちが組を作り、役割を分担しながら採石に挑みました。今も山肌には、楔を打ち込んだ「矢穴」の跡が並んでいます。この矢穴は石を割るための技法で、まずノミで穴を掘り、その穴に木や鉄の楔を差し込み、少しずつ打ち込んでいきます。やがて石にひびが走り、巨大な一塊が山から切り離される──遠い時代の作業風景が目に浮かぶようです。
苔むす石には作業組を示す刻印も刻まれています。五種類ほどの刻印が確認され、それぞれの分布が異なることから、組ごとに丁場が割り振られていたのでしょう。
山から切り出された巨石は「石引き道」を下り、浜へと運ばれ、船に積み込まれました。その浜こそが、現在の屋釜海水浴場です。
大坂城の築城には、本島の巨石が運ばれたと伝わります。しかし、山を下ることなく取り残された石もありました。それらは、いまも森の奥にひっそりと眠っています。風に揺れる木々のざわめきに耳を澄ませば、遠い時代の石を打つ音が微かに聞こえてくる気がします。