石の桟敷は、観客の熱を静かに受け止めてきました。年に一度、5月3日の肥土山農村歌舞伎。村じゅうの心がひとつに重なる瞬間です。

はじまりは江戸時代。村人たちがため池を築き、田んぼの水争いを収めた際、その喜びを分かち合うために芝居が演じられました。最初は外から役者を招いたともいわれますが、やがて自分たちで演じるようになり、村の誇りとして受け継がれていきました。

観客席は石を積んで築かれました。12段の桟敷は村の6地区に割り振られています。しかし、歌舞伎はいちばん前の特等席で見たいもの。そこで座席は毎年ローテーションで割り当てられ、公平が守られました。この工夫もまた、今に伝わる伝統のひとつです。

舞台の日には、親戚や隣村の人々も集まり、わりご弁当を囲んで子どもから大人まで芝居を楽しみました。なかには松の木にやぐらを組んで観劇する者もいたといい、境内は大いに賑わったといいます。石の桟敷はただの観客席ではなく、村全体をひとつに結ぶ仕組みでもあったのです。

肥土山集落の隣には、もうひとつ島内に残った中山農村歌舞伎舞台があり、そこには「千枚田」と呼ばれる棚田も広がります。限られた土地を石で積み上げて田畑を拓いた人々の知恵。その技術と誇りは、歌舞伎の舞台と同じく石に支えられてきました。豊作を祈り、収穫に感謝して捧げられる農村歌舞伎。その背景には、石とともに歩んできた島の暮らしが、今も静かに息づいているのです。

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