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京都・路地裏物語

あの世とこの世の分かれ道

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あの世とこの世の分かれ道

京都の裏側をのぞいてみませんか?

三条大橋は東海道五十三次の最終地点。鴨川を境にして内側は洛内、外側は洛外と呼ばれ、たくさんの旅籠が建ち並び、たくさんの人が行き交っていました。このホテルがある三条はまさにそんな境目に位置する場所。

そんな国境ともいえるこの場所にはどんな物語があるのでしょう。ふつうに京都を歩いていては気づかない、京都の裏側に、路地裏の旅へとご案内しましょう。

その秘密の旅は、あなたも訪れるであろう清水寺、その帰り道からはじまります。

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あの世とこの世の分かれ道
京都・路地裏物語


清水寺から、観光客で賑わう坂道をずーっと下まで降りてくと、大通りのバス停に辿り着く。

しかし、この「松原通」はここで終わりではない。ゆるやかな坂道は横断歩道を渡った先にも続き、鴨川を越えて、京都の中心部まで歩いていくことができる。この道は古くからたくさんの人が清水寺へのお参りのために行き来した道で、どうか振り返ってみてほしい。くねくねと曲がりくねったその道は、いかにも人がぞろぞろと歩き続けた結果、生まれたような道だと思わないだろうか。

あなたには、この坂道を鴨川まで歩いてほしいと思う。道中には珍しいお寺や神社、路地裏の不思議なお店、舞妓さんがいる花街まで。市街地とは異なる光景を目の当たりにするだろう。そして、およそ30分後に自分の足で鴨川を越えたとき。なぜ、この場所にそれらが残されているのか。その理由が分かるはずだ。

鴨川は「三途の川」に例えられてきた


その昔、市街地としての京都は、その坂道を下りきったところに流れる「鴨川の向こう側」にあった。市街地である洛中に対して、この地域は「洛外」と呼ばれ、京都の外側に広がる野原だったのだ。それも、この先は広大な「葬送地(死体置き場)」になっていて「あの世とこの世の分かれ道」と囁かれていた。そして、さまざまな理由で都には住むことができなかった「坂の者」と呼ばれる人たちが住んでいた。


坂の者。それは、平地ではなく坂道で暮らさざるを得なかった者たち。清水寺をお参りする人にお金を恵んでもらっていた人をはじめ、アウトサイダーたちの生活の場でもあったのだ。それに、坂の者は「境の者」でもある。京都は鴨川を境にして平野と山に分かれている。その高低差もまた洛中と洛外の格差を印象づけることになっていた。


──清水寺から洛中への道のりには、そんな過去の歴史が埋まっている。洛中とは違う雰囲気を味わいつつ、この土地に根ざした物語を知ってほしいと思います。

ただし、路地を散策するときには注意してほしいことがあります。路地はあくまで生活の場。いわば、庭先にお邪魔させていただくようなもの。大声で騒がないことはもちろん、住民のかたとすれ違ったときは爽やかに挨拶をするなど、「あやしい者」にならないよう十分に気をつけてほしいのです。

ぼくたちのガイドは「ガイドさん」との出会いにかかっている


ぼくたちのガイドづくりは素晴らしい「ガイドさん」との出会いによって成立している。つくづく、そう思います。お寺や神社のガイドを作る場合は、ある意味でその道のプロであるお坊さんや神主さんがいらっしゃいます。しかし、町歩きの場合はそうもいきません。いったい誰にお話を伺えばよいのか。立ち往生してしまうことも多い。それがうまく行かなければ図書館にこもり資料をあさるわけですが、それだけではなかなかいいガイドになりません。

でも、京都の路地裏ガイドに関しては、自信をもって素晴らしいガイドができたと思っています。


「路地裏研究所」の所長であり「バンクトゥ」という会社で京都を編集している光川貴浩さん、また「まいまい京都」でお客様を案内している町歩きのプロフェッショナル・以倉敬之さんに出会えたこと。このガイドが成立したのは、おふたりに出会えたことがすべてでした。

光川さんは京都の地図を広げて、毛細血管のように絡みあう無数の路地に対して、一本、一本、ペンで印をつけながら歩き倒したという過去があり、路地に関する書籍も複数出版されています。以倉さんは、ブラタモリにも出演された京都の若き生き字引。自ら現在も路地で生活されています。

ぼくたちは、おふたりの言葉に耳を澄ませて、書き下ろすだけでよかった。このガイドのあとがきには光川さんと以倉さんの談話もふくまれています。これがまた文章にまとめている最中もおもしろいほど贅沢な時間でした。

ふらっと旅をしているだけでは出会えないような方にお話を聞かせてもらって、そのお話をみなさんにおすそ分けすること。それがぼくたちのガイドの原点なのだと見つめなおせる時間でもありました。

京都だけではなく、世界中の路地の見方が変わるかも


路地裏を一緒に歩きながらのこと。「なんてセクシーなVラインなんだ、そう思いませんか?」と光川さんは言いました。路地を構成する両サイドの軒続きの長屋。その屋根の庇が空を切る風景のことでした。

そこには余計なビルが写り込むこともありません。あるとすれば銭湯の煙突のみ。洛中ではなかなか見られないノスタルジックな光景です。その風景が守られていることにも理由があります。ぼくたちはそうやって、ひとつ、ひとつ、路地の見方や歩き方を教わっていきました。


ひとつ、気づいたことがあります。「路地を歩くのが好きだ」という人は多いと思うのですが、なぜ、路地を歩くことにワクワクするのでしょうか。それは路地が細くて視界が狭いぶん、視点が定まりやすいからかもしれません。たとえば、古ぼけた郵便ポストや年季の入った自転車。それは、もしかすると普通の道にもある物なのかもしれません。だけど、見逃している。路地を歩いていると、そんな透明な物事の存在に気づける。そこに生活のにおいを感じて想像がふくらむ。それが、点、点、点、と連続するため、物語が数珠つなぎに繋がっていく。妄想がつきない。だから飽きない。どこまでも歩いていける気がするのは、そういうところにも秘密があるのかもしれないと思うのでした。


ぼくは、この取材が終わるとすぐに那覇に飛ぶことになりました。沖縄では路地のことを「すーじぐゎー」と呼びます。「すーじ」は道。「ぐゎー」は小さいというような意味です。戦後の急ごしらえの街である那覇には路地が無数に走っていました。

そこで、光川さんに教わった「猫は路地裏の案内人」という言葉を思い出しました。そこで、ひょっこり現れたマヤー(猫)の後についていくと。あの「国際通り」の裏路地にも関わらず巨大な古墳のような亀甲墓があったり、人知れず残された歌碑が見つかったりするのです。


信じられるでしょうか。国際通りのドン・キホーテの裏にはこんなジャングルのような場所があったりするのです。路地に踏み出さなければ気づかない場所だと思います。

香港に行ったときもそう。「土地がなければ、ビルを建てればいいじゃない」そう言わんばかりに密集した高層ビルの合間にもまた心惹かれる路地がたくさん。「恋する惑星」のフェイが猫のように飛び出してきそうな世界が広がっていました。

でも、残念ながらぼくには香港に対する教養がありません。その路地が、その土地が、どんな歴史の歩みを経て現在に続いているのか。それを学びながら香港の路地を歩けたら、きっともっと楽しめたはずだと思いました。


「京都・路地裏物語」にはそんな想いも込めています。めずらしい路地を紹介するだけではなく、路地歩きの体験を教養面からもふくらませる。読むだけでもためになるような、そんなガイドになっていると思います。


最後に、光川さんは路地のことをこう表現していました。「グーグルストリートビューでは入れない世界だ」と。読むだけでも、と話しましたが、ON THE TRIP はやっぱり「その場」で。ぜひ京都で、路地裏で、ガイドを体験してほしいと思います。

ON THE TRIP. ぼくたちの旅は続く。

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