レッスン3|言の葉の庭から見る心象風景

「言の葉の庭」とは、新宿御苑を舞台にした46分のアニメーション映画。ここであらすじを紹介することはしないが、一言でいえば、人生をうまく歩けないでいる2人が出会い、新しい一歩を踏み出すまでの物語だ。

舞台が新宿御苑であることにも意味がある。梅雨という狭間の季節。雨の朝、有料の公園である新宿御苑を訪れる人はほとんどいない。ドコモタワーが象徴する都会から逃避できる庭の、さらに奥まった場所にある東屋。そこで2人は出会い「人生の雨宿り」をする。

このアニメのなにが素晴らしいか。現実より美しいと思わせる風景である。監督の新海誠はインタビューにこう答えている。

「日常の光景の違った美しさを、視点を変えて提示したいと思っています。僕たちはこんなふうに世界を見ていますということを絵として観ているみなさんに伝えたいんです」

アニメは実写と本質的に異なる。ただ撮るのではなく、まず描くものであるからだ。たとえば、湖面にあるはずの余計な枯葉が浮かんでいなかったり、人の輪郭線に反射した緑色の光が鮮やかに映りこんでいたり。そうやって、実際にある風景をより美しく描くことができるのだ。

こんな話がある。アニメやマンガで雨は「斜線」であらわされる。これは現実にはありえない風景だ。その証拠に、昔は「灰色の空」でしか雨を表現することができなかった。それをとある浮世絵師が雨を斜線で表現するという「発明」をしたのだ。彼には降りしきる雨がそう見えたのだろう。それと同じように、雨の表現は「言の葉の庭」によってアップデートされた。

雨が降ることで緑はより鮮やかに輝く。梅雨というのはこんなにも美しい季節だったのか。そう気付かせてくれる驚きがある。アニメを観たあとでは、実際の風景がより美しく見えるはずだ。

新海誠の風景を美しいと感じる理由はそれだけじゃない。その物語が美しく見せるということでもある。「ほしのこえ」から「君の名は」までの歴代作品、「クロスロード」などの短編、その歌詞も含めて、彼が描いてきた物語には共通するメッセージがある。

いまだ何者でもない自分。がんばりたいのに、がんばりきれない自分。大人になりきれていない自分。昔のように友だちといえる人も、もういない。このままずっとひとりで生きていくのだろうかという孤独。焦り。不安。

それでも。

どんなにうまくいかなくても。自分が思うように相手が思ってくれなくても。そこで世界は終わりじゃない。いつかそれが力になる。そう信じて、前を向いて生きていくしかないのだ、と。

あなたの人生にも物語が流れている。それが重なることで風景は美しく見えるのだ。あるいは。

お気づきの人もいるだろう。ガイドの途中で「心象風景のトリガー」として挟んだ言葉は、小説版を含む「言の葉の庭」に出てくるセリフである。

ぼくは、言の葉の庭で見た風景を、現実の新宿御苑で探してしまっていた。しかし、それだけでは旅の体験はふくらまない。新海誠の目には日常の風景がどんなふうに見えているのか。映像として提示された風景を追いかけるのではなく、自分の目でそれを発見できるようになりたい。そう思って、この文章を書きはじめた。

あなたにも、あなたにしか見えない風景を見つけてほしい。それも、現実より美しい心象風景を。そのきっかけにわずかでも役に立てれば嬉しく思う。






    ON THE TRIP 編集部

    文章 志賀章人
    写真 成瀬勇輝 志賀章人
  声の出演 五月野あずみ

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