顕本寺を出て、かつて紀州街道と呼ばれた大通りまで戻ろう。通りには大阪で唯一残る路面電車が走っており、ここから大阪市内へ向かうこともできる。

こうして黄金の日日の痕跡を巡ってみると、物語の中心にいたのは豊臣秀吉、そして千利休をはじめとする堺の商人たちだった。そして豊臣の世が終わるとき、堺の黄金の日日も終焉を迎えることとなる。

秀吉の死後、江戸に幕府を開いた徳川と豊臣の戦いが起こり、鉄砲の製造と流通を牛耳っていた堺には両軍から鉄砲の発注が来た。徳川はおよそ1万丁、豊臣は5千丁。発注数を見ればどちらが勝つかは一目瞭然。そこで勝つであろう徳川には「後払いでも構わない」、負けるであろう豊臣には「必ず前払いで」と伝えた。しかし人の口に戸は立てられぬ。豊臣方の逆鱗に触れ、徳川に鉄砲が渡るぐらいならと堺の街を燃やしてしまった。火の勢いは凄まじく、大坂からも見えるほどであったとか。

荒廃した堺の街は、徳川家が復興に手を貸したものの、これまでのような繁栄は取り戻せなかった。武器がもたらした繁栄と衰退、これもまた因果応報なのだろうか。まばゆい黄金の裏には必ず闇がある。そのことを現世に伝えてくれているのかもしれない。

※このガイドは、取材や資料に基づいて作っていますが、ぼくたち ON THE TRIP の解釈も含まれています。専門家により諸説が異なる場合がありますが、真実は自らの旅で発見してください。

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