標高325メートルの峠には江戸時代の終わりに熊野で一年間滞在して地元の人々に俳句を教えた可涼園桃乙(かりょうえんとういつ)の句碑があります。この句碑には「夜は花の上に音あり山の水」と刻まれています。この句は、峠の麓の地蔵さんのあたりで、夜桜見物の際に詠まれたものだといわれています。
句碑の横に船の上に乗っている姿の岩船地蔵のお堂が建っていました。この地蔵さんは江戸時代半ばころに栃木県岩船山山頂に建つお寺から一人のお相撲さんが背負って運んできたものだといわれています。海難防止の地蔵さんとして信仰され西国巡礼が盛んだったころは、巡礼者たちが旅の安全を祈願して参拝するため線香が絶えなかったといわれています。