草薙神剣を盗んだお坊さんが逃げ出したのはかつての北門=清雪門からであった。そのことから北の方角は不吉とされ、清雪門は現在の場所に移されたという。

そして、盗難を免れた草薙神剣は、しばらくは天皇のそばに置かれていたのかもしれない。というのも、盗難事件から18年後、当時の天皇が重い病気になり、その理由を占ってみると草薙神剣の霊力が強すぎるためだった。そのため、再び草薙神剣を熱田の地に戻した、という記録が残されている。

それから500年後、再び草薙神剣が登場するのは、壇ノ浦の戦い。平家物語の最後のシーンである。

───────────

追い詰められて逃げる平家と追う源氏。平家は三種の神器と安徳天皇を引き連れていました。

海の上で行われた壇ノ浦の戦いで敗戦を悟った平家の人たちは、自ら命を絶とうと次々に海へ飛び込んでいきます。

そのとき、まだ幼い安徳天皇は聞くのです。「わたしをどこに連れて行こうとするのか。」

祖母は答えます。「海の底にも都はありますよ。」

そして、草薙神剣と安徳天皇を抱いたまま海に飛び込むのです。

戦いに勝利した源氏は必死で海の底をさらいましたが、安徳天皇はもちろん草薙神剣も見つけることができませんでした。

───────────

草薙神剣が壇ノ浦で失われたとすれば、熱田神宮には何があるのだろう。そう考える人もいるかもしれない。しかし、草薙神剣は本体のほかに「形代」と呼ばれる分身がある。現在、その本体は熱田神宮にあり、分身は皇居にあるとされている。壇ノ浦で失われたのが分身であるとすれば、本体はずっと熱田神宮にあったとも考えられる。

そもそも平家物語に書かれていることが本当かどうかもわからないが、そのことよりも、目の前に伸びる道に注目してほしい。この道は旧参道。つまり、江戸時代までの正参道であり、熱田神宮に参拝する人たちが歩いてきた道なのだ。

熱田神宮に草薙神剣があることを信じ、参拝し続けてきた人がいる。そのことこそが紛れもない真実である。そんな人たちの姿を思い浮かべながら、歴史の重みを感じてみてほしい。

ON THE TRIP 編集部

文章:志賀章人
写真:本間寛
 声:五十嵐優樹

Select language