8月16日、京都の夜に浮かび上がる「五山送り火」は、お盆にご先祖様の精霊を送る伝統行事です。そのはじまりは夜8時から。「大文字」「妙・法」「船形」「左大文字」「鳥居形」といった文字や形が5分おきに5つの山に灯されます。
そもそもお盆とは何なのでしょう。その起源は中国の「盂蘭盆(うらぼん)」、さらに遡るとインドの「ウランバナ」。サンスクリット語で「逆さ吊り」を意味する言葉だと言います。そこには、こんな話があります。
その昔、仏教の修行を積んで神通力を得た男が、亡き母が地獄で逆さ吊りにされて、飢えに苦しんでいることを知りました。どうして優しかった母親がそんな目に遭っているのか。それは、修行僧たちがみんなで食べ物を求めに来た際に、母親はその愛ゆえに自分の息子だけに多くの食べ物を与えてしまったから。男は神通力で母親を救おうとしましたが、ことごとく失敗し困り果てた末に、お釈迦様に相談します。すると、「自分の母親だけではなく、すべての人を救う気持ちを持ちなさい」と諭されました。そして、「夏の修行を終えた修行僧たちに食べ物などの供物をして徳を積めば母親を救うことができる」と教わりました。その通りにしたところ、母親は無事に救われたのです。
この話には自己中心的に考えてはいけない、すべての人に優しくしなくてはならないという、お盆の教えの原点があるようにも感じられます。
こうして、お盆は「逆さ吊りのような苦しみにあっている人を救うもの」として、仏教伝来とともに日本に伝わりました。日本には古来よりご先祖様を家でお祀りする風習があったため、お盆はその文化と融合し、日本独自の形になっていきます。はじめは修行僧や貴族から、やがて武家に、江戸時代には一般庶民にも広まりました。
江戸時代には13歳ぐらいになると丁稚奉公といって実家を出て働く文化がありました。彼らは休みなく働きましたが、お盆になると休みをもらい実家に帰ることが許されていました。結婚して家を出た娘も同じで、お盆には実家に帰ってきました。
そうして、一家が勢ぞろいしたとき、ご先祖様も家に迎え入れるのです。そのためにお盆の初めに「迎え火」をします。その炎を目印にご先祖様の精霊は道に迷うことなくあの世から帰ってくることができます。そして家の中に招き入れ、供物をしておもてなしをします。しかし、ずっと家に居てもらうわけにもいきません。そこで、お盆の終わりに「送り火」をして、ご先祖様の精霊を再びあの世に送り返すのです。
その代表的な伝統行事が「五山送り火」です。5つの山で東から西へ火が灯されることから、あの世がある西の方角に送っているとも言われます。しかし、もともとは西も東もなく、各地域の人たちが各地域にあるお寺で送り火をしていました。文字や形も、数字の「一」や、ひらがなの「い」、蛇、鈴、長刀の形など、いろんな炎が灯っていたそうです。
そんな送り火を京都の人たちは失った家族のことを思いながら静かに見送ります。その日だけは、京都の街全体が生きている人と亡くなったご先祖様の精霊が行き交う空間に変わるのです。その姿は今も昔も変わりません。
では、ご先祖様とは誰のことを指すのでしょう。自分のご先祖様を想像してください。お父さんとお母さん、お爺ちゃんとお婆ちゃん、そのまたひいお爺ちゃんとひいお婆ちゃん、と遡ってみてください。あなたから数えて10代前には何人のご先祖様がいることになるでしょう。
正解は1024人です。20代前まで遡ると100万人を超えます。そのご先祖様の誰かひとりでも欠けていたら、あなたはこの世に存在していなかったことになります。まさに有ることが難しい「有り難い」ことであり、ご先祖様に支えられて今がある。そのことに感謝する気持ちがあれば、それこそがご先祖様を想う心なのでしょう。
そう難しく考えなくても、大切な人を失ったとき、その日だけはその人に会えると思えたら救われる気がしませんか。お盆というのは、一年に一度は会いたいという人間の素直な願いのあらわれなのかもしれません。
京都の人たちは、送り火の炎がすーっと消えていく、そのほのかな余韻にご先祖様が帰っていく寂しさを感じると言います。あなたは、五山送り火の最後の光が消えるとき、その瞬間を、どんな気持ちで迎えることになるでしょうか。