保津川下りを終えたあなたには、今、どんな記憶が宿っているでしょうか。
切り立った渓谷の風景でしょうか。そこで見かけた生き物たちでしょうか。それとも船頭が舟を漕ぐ背中でしょうか。
保津川下りは乗るたびにそのすべてが変化します。
たとえば、四季の変化。春は山桜が舟を出迎え、やがて新緑の緑が青々とした夏の躍動感あふれる風景に変わります。水が澄んでいる日は、鮎の姿が見えることもあるでしょう。秋になると紅葉がはじまり、燃えるような赤い岩ツツジで山が染め上がります。冬にはそれらの赤や緑が消えてなくなり、枯山水のような枝ぶりで山が静まり返ります。
中でも、秋のあいだは保津峡に霧が立ちこめます。朝の便で舟に乗ると、はじめは霧が深くてあたりに何も見えません。想像してみましょう。霧靄の中、前方に渓谷のV字の影だけが見えています。まるで水墨画のような白黒の世界に舟が浮かぶ幻想的な光景です。この舟はどこに向かって行くのでしょう。舟は雲の上に浮いていて、桃源郷に導かれるようでもあります。
舟が出発してしばらくすると次第に霧が晴れてきます。すると、水面に波が立っているのが見えてきます。風です。風が吹いているのです。その風が霧を巻き込んで上昇気流を起こします。霧がまるで湯気のように煙立ち、抜けていく。そうして霧がさっと消えた瞬間、青空が見えるのです。雲ひとつない真っ青な空から太陽の光が差し込み、水面がきらきらと輝きはじめます。目を開けていられないほど眩しい光の世界で視界が開け、保津川の急流が龍の背中のように光り輝いて見えるのです。そのとき、これまで霧で隠されていた紅葉があたり一帯に広がっているのが分かり、まさに別世界のように感じられます。
保津川下りを終えて舟を降りたとき、そこは秋の嵐山の賑やかな観光地の風景です。すると、さっきまで見ていたはずの保津川の光景が現実かどうか疑わしくなり、「あれは夢だったのか」と不思議に思う感覚にとらわれることでしょう。
このように保津峡は舟が進むとともに風景自体が移り変わり、自然が生きているサイクルをありありと見せてくれます。船頭は1年のサイクルの中で、そんな四季のうつろいを見続けています。秋は山の終焉です。紅葉が終わると葉っぱは地面に落ちますが、その赤い葉っぱには糖分が残されています。つまり、養分を残したまま枯れていくのです。その養分は山の地面に染み込み、木々の根っこにエネルギーを与えます。その冬の間、山は静まり返っているように見えますが、根っこの中では次のエネルギーを蓄えているのです。
その冬があるからこそ、春は桜の開花とともに若葉が芽吹き、また緑が眩しい夏の季節がやってくるのです。保津峡ではこのような自然の営みが一寸の狂いもなく続いています。それは人間も同じかもしれません。あなたは、400年という月日をどのように感じるでしょうか。保津峡の永遠にも思える命のサイクルを感じながら、船頭もまた40年の仕事を終えていきます。
あなたにも、保津峡の自然と一体になる感覚を味わってほしいと思います。保津峡の自然の営みに比べると、人の一生は短く、一瞬の点のようなものかもしれません。されど、その繰り返しによって今がある。点と点がつながって線となり今に続いています。何ひとつ欠けても線になり得ません。そんな1日1日の大切さを感じてもらえたらと思います。
あらためて、聞きましょう。保津川下りを終えたあなたには今、どんな記憶が宿っているでしょうか。
保津川下りの数時間には、そんな自然の営みが凝縮されていたはず。あなたはそれを目撃していたはずなのです。保津川下りは乗るたびにそのすべてが変化します。その旅は、もう一度、乗ったときにこそ新たな発見があることでしょう。
※このガイドは、取材や資料に基づいて作っていますが、ぼくたち ON THE TRIP の解釈も含まれています。専門家により諸説が異なる場合がありますが、真実は自らの旅で発見してください。
ON THE TRIP 編集部
文章:志賀章人
写真:本間寛
声:奈良音花