「めざすは怨敵、吉良上野介の首ひとつ!」
奇しくもその日は、浅野内匠頭の命日でもありました。江戸にある吉良上野介の屋敷に集まった、47人の赤穂浪士は太鼓の音を合図に攻め込みます。
吉良上野介も討ち入りを警戒し100人近くの侍が警護していました。それでも、周到な準備を重ねてきた赤穂浪士は次々と敵を倒していきます。そして、ついに寝床に辿り着いたのですが、吉良上野介の姿がありません。
「どこにも見当たらないぞ!」「取り逃したか!」「落ち着いてよく探せ!」
闇夜の中、ろうそくの灯りを頼りに吉良を探し出すことは簡単ではありませんでした。
しかし、夜明け近くに一筋の光明が差し込みます。まだ捜索していない台所の炭部屋があることに気づいたのです。その扉を蹴破ると中から3人の男が飛び出してきて斬り合いとなります。これを倒し、炭部屋の奥を見るとまだ人がいる。赤穂浪士のひとりが一槍つき、その人物を外に引きずり出すと、額に傷の跡がある老人でした。
「これぞ、主君が斬った傷の跡!」
吉良上野介、本人で間違いないと、この首を討ち取りました。
こうして、主君の無念を晴らすことに成功した赤穂浪士たちは、すぐさま泉岳寺にある浅野内匠頭の墓へ向かい、吉良上野介の首を供え、一部始終を報告しました。そして、自らの行動が信念に基づくものであったことを告げると、逃げ隠れせずに幕府の裁定を待ちます。
将軍はその忠義に対して「あっぱれ」と評したと言います。しかし、法を破った以上、見逃すことはできません。約2ヶ月後、赤穂浪士たちには切腹が命じられました。切腹は切腹でも名誉ある切腹でした。赤穂浪士たちは堂々とその運命を受け入れ、静かに自害します。そして、吉良家も取り潰しの処分がなされ、大石内蔵助の望みは果たされたのでした。それだけではありません。数年後には、浅野内匠頭の弟を中心とした浅野家の再興も果たされます。
赤穂浪士たちの墓は、浅野内匠頭の墓のそばに建てられ、現在も多くの人たちが参拝に訪れています。忠臣蔵は敵討ちの物語でありながら、理不尽に立ち向かい、主君への忠義の心を貫いた侍たちの物語です。その信念を貫くためには、たくさんの犠牲を払う必要がありました。家族や仲間との縁、そして自分自身の命。それらを失ってでも、我慢の末に事を成し遂げる。これは、当時の価値観では賞賛されました。だからこそ、将軍はあっぱれと評し、歌舞伎や浄瑠璃で繰り返し語り継がれてきたのです。しかし、現代から見るとどうなのでしょう。今と昔の信念のあり方、成し遂げ方の違いもまた新たな問いになることでしょう。
花岳寺は浅野家の先祖代々のお墓があるお寺です。赤穂浪士が切腹した際には、その遺髪が届けられた場所でもあります。浅野家の功績を守り続けてきたこの場所で、これまでの旅を振り返り、忠臣蔵の物語をあなたならではの視点で語り継いでもらえたらと思います。
※このガイドは、取材や資料に基づいて作っていますが、ぼくたち ON THE TRIP の解釈も含まれています。専門家により諸説が異なる場合がありますが、真実は自らの旅で発見してください。
ON THE TRIP 編集部
文章:志賀章人
写真:本間寛
声:五十嵐優樹