絵馬殿についたら、まずは屋根を見上げてみよう。立派な剣と矢を見つけることができる。神社名の「石切劔箭」は、強固な岩をも切り裂き、貫くほどに御祭神の力「御神威」が偉大である様をあらわしている。
はるか昔、記紀神話時代。天照大神から「十種の神宝」をさずかった「饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)」。この地に降り立ち、先住していた一族の長、長髄彦(ナガスネヒコ)の妹と結ばれ、生まれたのが「可美真手命(ウマシマデノミコト)」だ。石切神社ではこの二柱の神様を御祭神として祀っている。
実はこんな物語もある。神武天皇が世を平定するために東へと進み、この地に入ったとき、ミコトはすでにこの地を治めていた。突然現れた神武天皇に長髄彦は激しく抵抗したが、ミコトと神武天皇が天孫の証である天羽々矢を互いに示し合うことで、共に天照大神(アマテラスオオミカミ)の子孫であることがわかった。
そこでミコトは長髄彦に配下に入るように諭し、ここに大和国が建国したのである。その後、ミコトの一族は「物部氏」となり、天皇に仕えることとなった。