斎王とは、天皇の代わりに神社に奉仕する皇女のことをいいます。
斎王は皇族の特別な女性の中から占いによって選ばれ、その後、数年にわたり心身を清める期間を過ごします。神様に仕える仕事ですから、この期間の生活はとても厳格なものでした。
たとえば、「忌みことば」というものがあり、穢れを連想させる言葉は禁句とされ、「死」は「ナオル」、「病」は「ヤスミ」、「血」は「アセ」などと置き換えられます。そして、葵祭に先立って「御禊神事」を行い、準備を整えます。斎王は普段、ほとんど外に出ることがないため、葵祭はその姿を見られる貴重な機会でもあったことでしょう。
こうして斎王が葵祭に参加する制度は平安時代から400年ほど続きましたが、一度、途絶えてしまいます。その理由は、平安時代の終わりから朝廷の力が衰え、財政難で斎王を立てることができなくなったからです。やがて、天皇の使者である勅使の派遣も途絶え、葵祭の当日には宮廷に葵を飾るだけのささやかな行事となりました。ただし、その間も賀茂社では神事が途切れることなく続けられてきました。
そして、江戸時代の平和が訪れると葵祭の行列が再開されます。当時の人たちもまた古文書を丹念に調べ、平安時代のしきたりを忠実によみがえらせました。ただし、そのころはまだ斎王がいませんでした。昭和になって斎王の代理として京都にゆかりのある女性から「斎王代」が選ばれるようになり、斎王代列として復活することになります。
斎王代は十二単をまとい、髪は華やかに飾られています。そして、オヨヨと呼ばれる乗り物に乗って移動されます。そんな斎王を支えるたくさんの女性たちが行列に参加しています。中には、斎王が神社でお祭りをするとき、衣装の裾や袖を持ってサポートする小さな女の子たちもいます。それぞれの女性の位の高さも衣装の華やかさで示されています。
斎王代列が通り過ぎると行列は終わりです。しかし、お祭りは続きます。神社の中で行われる社頭の儀ではどんなことが行われているのでしょう。斎王代もまた重要な役割を果たします。あらためて、そのことを想像しながら葵祭の歴史や伝統に想いを馳せてみてください。
※このガイドは、取材や資料に基づいて作っていますが、ぼくたち ON THE TRIP の解釈も含まれています。専門家により諸説が異なる場合がありますが、真実は自らの旅で発見してください。
ON THE TRIP 編集部
文章:志賀章人
写真:三宅徹
声:五十嵐優樹