ようこそ、髙尾山 薬王院へ。
この音声ガイドは、御護摩修行をより深く体験していただくためのものです。
いま、あなたがどこでこのガイドを聴いているとしても、この瞬間から、すでに「祈りの旅」は始まっています。
高尾山は、古くから修験者たちが修行を積み、祈りを捧げてきた霊山です。
その中腹に建つ薬王院では、今も毎日、護摩と呼ばれる祈りの儀式が行われています。
あなたがこの体験に申し込んだということは、きっと心のどこかに、祈りたい何かがあるのでしょう。
この音声では、護摩とは何か、そしてどのように向き合えばいいのか。
体験が始まる前に、その意味と背景をご案内します。
護摩とは、ひとことで言えば「火を使った祈り」です。
けれどその火には、長い歴史の中で積み重ねられてきた物語が宿っています。
その起源は、はるか古代インド。人々は「ホーマ」と呼ばれる火の儀式を通じて、神々に祈りを捧げていました。
このかたちが、やがて仏教に取り入れられ、「護摩」として受け継がれるようになります。
日本では、平安時代、唐から戻った空海=弘法大師が、真言密教とともに護摩の祈りを深めました。
こんな話が伝わっています。
ある年、水不足に苦しむ人々を救うため、空海は山に籠もり、連日連夜、火を焚き続けました。
雨が降ることを願って、一心に祈りを捧げ続けたある夜、空が裂けるように雷鳴が轟き、ついに雨が降り出したといいます。
それは、人々にとって「祈りが届いた瞬間」でした。
あなたも目にすることでしょう。御護摩修行で焚かれる火は、ただの火ではありません。
仏の智慧そのものであり、煩悩や迷いを焼き尽くし、自らの祈りを仏様に届けるための、神聖な炎です。
その火を囲むように僧侶たちが並び、読経が響き、太鼓が打ち鳴らされ、法螺貝の音が放たれます。
火の前に座る僧侶は、いくつかの供物を捧げて仏様をもてなし、
そして、あなたの名前と願いが書かれた護摩札を、炎にかざします。
その願いは読み上げられ、炎の中へ──その瞬間、火は願いを乗せて仏様に届けられ、祈りそのものとなるのです。
どうか、その瞬間を見守り、心を込めて、祈りを重ねてみてください。
耳を澄ませてください。法螺貝の音が聞こえてきませんか?
当日の御護摩修行もまた、この音からはじまります。
護摩で目にする音や所作、そのひとつひとつに、深い意味が込められています。
なかでも法螺貝の音は、その響き自体が仏様の声とされてきました。
聴く人の心を静かに整え、仏の世界へと誘うような、神聖な響きです。
錫杖と呼ばれる杖の音は、邪気を払い、場を清めます。
僧侶たちは、修験道の装束に身を包み、山の精霊と仏の力を一身に受けて、祈りを導きます。
頭に乗せた小さな「頭襟(ときん)」は、大日如来=宇宙全体のエネルギーをあらわす仏様の冠を簡略化したもの。
まさに仏の智慧をまとい、あなたの願いを導いていくれるのです。
やがて、火は大きくなり、太鼓が響き渡り、読経の声が高まっていきます。
その音に包まれながら、自分の心に静かに問いかけてみてください。
いま、あなたがこの場所にいる理由は何か。
なぜ祈りたいのか。
どんな未来を願いたいのか──
その願いは、火の前で読み上げられ、やがて「護摩札」として、あなたの手元に授けられます。
それは、ただの「お願い」ではなく、自分自身への「誓い」でもあります。
護摩札を持ち帰り、日々の暮らしの中で、そっと見返してみてください。
その日、高尾山で何を願ったのか──
それを思い出すことで、あなたはいつでも、あの火の前に戻ることができるのです。
ここで、ひとつ、ご提案があります。
御護摩修行の受付時間よりも、少し早めに薬王院にお越しください。
そして、境内をゆっくりと歩いてみてください。
杉並木の間を吹き抜ける風、苔むした石段、どこからか聞こえる鳥の声。
そのひとつひとつが、あなたの心を静かに整えてくれるでしょう。
そして、静かな場所を見つけたら、そっと立ち止まり、目を閉じて深く呼吸してみてください。
高尾山の澄んだ空気を吸い込み、心の曇りを、吐く息とともに手放していく。
それだけで、あなたの中に祈りの準備が、ゆっくりと整っていきます。
祈りとは、自分自身の心と、静かに向き合うことです。
でも、それだけではありません。
あなたが仏様に手を合わせるそのとき、仏様もまた、あなたに向けて、そっと手を合わせてくださっています。
祈りとは、一方通行ではありません。
目には見えなくても、あなたの願いにそっと寄り添い、ともに祈ってくれる存在が、いる。
そんな気配に気づいたとき、この旅の体験は、あなた自身の祈りの原点になるかもしれません。
※このガイドは、取材や資料に基づいて作っていますが、ぼくたち ON THE TRIP の解釈も含まれています。専門家により諸説が異なる場合がありますが、真実は自らの旅で発見してください。