ようこそ、髙尾山 薬王院へ。

この音声ガイドは、精進料理をただ「味わう」だけでなく、その奥にある祈りや思想に触れていただくためのものです。

薬王院で大切にされているのは、「お山の生き物や植物、そして私たち、さらには風雨などの自然現象や山そのものも含め、すべてが仏様である」という考え方です。

料理には旬の野菜をできるだけ取り入れ、素材本来の香りや甘みを引き出すよう心がけています。この一品一品には、自然や人々の営み、そして料理人の静かな祈りが込められています。

「精進」とは、仏道を志す者の心のあり方を指す言葉です。欲を抑え、怒りや迷いを鎮め、丁寧に生きようとする姿勢──その心が形になったものが、この料理なのです。

精進料理は、動物性の食材を一切使いません。これは「殺生を避け、すべての命を尊ぶ」という仏教の根本的な教えに基づいています。

それは単に肉や魚を断つというだけではなく、「命をいただくとはどういうことか」を静かに問い直す機会でもあります。

日本における精進料理のはじまりは、仏教の伝来とともに中国から伝わったことにさかのぼります。

このとき、食事に向き合う心のあり方が、教えとして丁寧に伝えられるようになり、食を通して心を整えるという考え方が広がっていきました。

精進料理に使われる食材は「精進物」と呼ばれるものに限られます。精進物とは、肉や魚介類を含まない植物性の食材のことで、野菜や豆、果実などを指します。調理方法は生、焼く、煮る、揚げる、蒸すの5つが基本で、味付けは素材の持ち味を最大限に活かすために薄味となります。

四季折々の旬の食材を楽しむことができる精進料理はやがて日本料理の基盤となり、のちに懐石料理へと発展していったとも伝えられています。

ここ、高尾山の精進料理では、山の恵みを最大限に生かし、無駄なく使い切ることが大切にされています。地元の野菜が積極的に取り入れられ、季節ごとの自然の表情が映し出されます。

その味わいは、見た目以上に深く、素朴でありながら心にしみわたります。

精進料理をいただく前には、高尾山では「食事の偈(げ)」を唱えることがあります。これは、食前の祈りであり、心を整えるためのことばです。

 一滴の水にも天地の恵みあり
 一粒の米にも萬人の労を納む
 願くはこの飯食
 己が身を調え
 精進の志願を満足なさしめ給え
 いただきます

これは、食事がどれだけ多くの労力と恵みによって届けられたかを思い、自らの行いを省みる時間でもあります。欲や怒りに流されず、この食を薬として心身を養い、やがて仏の道へと近づくためにいただく──そんな意味が込められています。

まさに、食べるという行為を通じて、祈りと修行が重なり合っているのです。

箸を取り、ひとくち口に運ぶ。

その一瞬のなかに、たくさんの命と、たくさんの時間が流れ込んできます。

それを「ありがたい」と思う気持ちが、精進料理の根本にある心です。

美味しさを追い求めるだけでなく、そこに込められた思いを感じ、感謝して食べること。

野菜の香り、湯葉の柔らかさ、根菜の甘み──すべてが、あなたの中にそっと安らぎを広げていくでしょう。

自然豊かな高尾山の空気とともにいただくことで、素材の味わいはより一層際立ちます。

四季折々の風景を感じながら食べる一膳は、まるでこの山そのものと対話しているようです。

それは、仏様に手を合わせるのと同じように──自分の内なる仏に、そっと手を合わせることでもあります。

食べ終わった後は、空になったお膳を見つめてみてください。

きっと、あなたの心の奥に、あたたかいものが残っているはずです。それこそが感謝の光。

「おいしい料理をありがとうございます」──料理人たちが最も嬉しく感じるこの言葉は、命への感謝そのものでもあります。

精進料理とは、ただの食事ではなく、日々に小さな祈りを取り入れるための「種」のようなもの。

その種は、いま、あなたの中にそっと蒔かれました。

日常に戻っても、ふとした瞬間に思い出してください。

あの山の空気、薬王院の静けさ、一膳の料理と向き合ったときの気持ち──

その記憶は、あなたにとっての小さな祈りの拠り所になるでしょう。

最後に、「食事の偈」には、食後の言葉もあります。その言葉を最後に聞いていただきましょう。

 恵の食をいただき
 心豊かに力身に満つ
 願くは己が業務にいそしみ
 誓いて四恩(父母の恩、佛法僧の恩、
 衆生の恩、天地の恩) に
 報い奉らん
 御馳走様でした
 
※このガイドは、取材や資料に基づいて作成していますが、ON THE TRIP の解釈も含まれています。諸説ある部分もありますが、真実は、あなた自身の体験の中で見つけてください。

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