※ご注意ください。神社へ向かう道は大変狭く危険です。昨年も車で進入しようとして川に転落する事故がありました。必ずこの場所に車を停め、徒歩でお進みください。車両での進入は禁止されています。
司馬遼太郎が佐渡を旅した際、地図を見て「どうしても行きたい」と訪れた場所があります。それが、ここ熱串彦神社です。
当時、地元の人々でさえほとんど知られていない神社でしたが、「延喜式」という平安時代の記録にも名を残す歴史ある神社です。野の向こうにこんもりと森があるだけで、参道も民家も見当たりません。あぜ道をなんとか歩いて近づくと、森に埋もれるように社殿があり、その脇には朽ちかけた能舞台がひっそりと建っていました。
司馬は再び地図を開き、想像をめぐらせます。この神社のある「長江」という地名が示すように、かつて加茂湖がまだ湖でなかった時代、ここは入江であり、浦であり、海岸線がこのあたりにあったのではないか──と。
さらに、「日本書紀」にはこんな記述が残されています。
「その昔、外国の一族が佐渡に漂着した。島の人々は彼らを“鬼”と呼んで近づかなかった。やがて一族はある浦に移り住み、漁をして暮らし始めたが、その浦は古くから神の力が強く、島民も近寄らぬ場所だった。彼らは何も知らずその浦の水を飲み、半数が命を落とした」
司馬は、この浦こそがこの地であり、その恐ろしい神を祀ったのがこの神社ではないか、と想像を重ねます。もちろん地元にそのような伝承は残っていませんが、あなたはこの神社に立って、何を感じるでしょうか。
朽ちかけていた能舞台は、大正時代を最後に長らく使われていませんでしたが、今回の芸術祭では再びここで能が演じられます。時を超えて舞台に響く能の声に、土地の記憶が呼び覚まされるかもしれません。