この場所には、かつて「竹原書院」という学問所がありました。町の人々が通い、学び、心を磨いた場所です。
竹原は塩づくりで大いに栄えた町でした。しかし、塩の商いは決して安定したものではなく、浮き沈みが激しい世界。そんな中で家業を守り、未来を切り拓くためには、学問が必要だったのです。
稼いだお金を趣味や遊びに使うだけでなく、学問に投資する。それが竹原の商人たちの気質であり、町の文化そのものでした。
竹原の塩づくりが全盛期を迎えたのは始まりから約70年後。その後は、瀬戸内各地にライバルが現れ、一進一退の攻防が続きます。
しかし、酒づくりや廻船業など多角的に事業を展開することで、竹原の商人は柔軟に生き抜いてきました。そして、塩の産地としても生き残り、300年にわたる町の商売の基盤であり続けたのです。
この町が長く繁栄できた理由こそ、学問を通じて育まれた知恵と行動力です。竹原からは、江戸時代を代表する学者たちも輩出されています。
彼らが学び、教えた場所こそ竹原書院。昭和になると図書館となり、現在は歴史民俗資料館として、学びの拠点であり続けています。