東京都、港区。
林立する高層ビルや、夜を貫く高速道路。
ここが日本の経済を支える中心地だということを、誰もが疑いません。
けれど、少し目を閉じてみてください。
潮風に頬を撫でられながら、この場所の名を口にすると、ひとつの問いが浮かび上がってきます。

──なぜ、ここは「港区」と呼ばれるのか。

現在の東京湾からは、とても想像できないかもしれません。
かつてこの一帯は、芝草がそよぎ、どこまでも遠浅の海が広がる、のどかな浜辺でした。
人々はその風景を「芝の浦」と呼んでいました。

室町時代、この地を訪れた旅人は、こんな歌を残しました。

「やかぬよりもしほの煙 名にも立つ 船にこりつむ芝の浦人」

「もしほ」とは、藻塩のこと。
人々は浜辺で藻を集め、干して焼き、その灰を海水で煮詰めて塩を得ました。
その塩は荷物にまとめられ、船に積み込まれていく──
そこにはすでに、人の暮らしと港が営まれていたことがうかがえます。
魚を追う漁師の小舟もまた、ここから沖へと漕ぎ出していたことでしょう。

芝浦には、徳川家康と漁師にまつわる逸話も伝わっています。

1590年、江戸に入ろうとしていた家康の船が浅瀬に乗り上げて動けなくなりました。
そのとき、波をかき分けて駆けつけたのが芝浦の漁師たち。
数十艘の小舟が力を合わせ、家康の船を沖へと押し出しました。
思わぬ助けに、家康は深く感じ入ったといいます。
そして、芝浦の漁師たちに「船が漕ぎ出せる場所なら、どこでも漁をしてよい」という特別なお墨付きを与えました。

東京湾はなぜ、これほど豊かだったのでしょう。
その答えは、隅田川をはじめとするたくさんの川が、山からの土と養分を東京湾に運び込むからです。
コハダやアナゴ、そして芝浦の名物・芝エビなど。
東京湾の魚は寿司や天ぷらに欠かせない一品となりました。

江戸前寿司の「江戸前」とは、まさにここ東京湾です。
江戸の目の前で採れた魚を、関西の馴れずしのように熟成を待つのではなく、新鮮なまま握ってすぐ食べる。
それは、せっかちな江戸っ子にぴったりの発明でした。
当時の寿司は今よりずっと大ぶりで、おにぎりのような寿司を屋台で豪快に頬張る。そんな庶民のファストフードだったのです。

芝浦の海は、味わうだけでなく眺める楽しみも人々に与えていました。
すぐそばには徳川家の別荘である浜離宮や芝離宮が建ち、ひそかな憧れを抱いたのでしょうか。
やがて芝浦は月見の名所として知られるようになり、浜辺にござを敷いて月の出を待つ人々の姿は、季節を告げる風物詩となっていきました。

春になれば潮干狩り。
娘たちが裾をたくし上げ、素足で波に入り、貝を拾う。
砂の下に隠れたヒラメを捕まえ、その場で煮焼きにして酒を酌み交わす。
歌声や笑い声が風に流れ、浜は庶民のささやかな行楽地となっていきます。
漁師の暮らしと庶民の遊びが溶け合い、芝浦ならではの文化が芽吹いていきました。

芝浦の浜は、物語の舞台にもなりました。
落語「芝浜」──そのあらすじはこうです。

夜明け前の芝浦の浜。
魚屋の勝五郎は、波打ち際で、大金がぎっしり詰まった革財布を拾います。
喜びに舞い上がった勝五郎は、その日、商売を休んで酒盛りを開き、大盤振る舞い。やがて泥酔して眠り込んでしまいます。
翌朝。女房に起こされた勝五郎は言い放ちます。
「俺はもう大金持ちだ。魚屋なんぞやるものか!」
けれど女房は静かに答えます。
「そんな財布、知らないよ。夢でも見たんじゃないのかい?」
がっかりした勝五郎は、しぶしぶ魚市場へ向かいます。
やがて心を切り替え、真面目に働きはじめた勝五郎。三年後には小さな店を構えるほどに成長しました。
そんなある日。いつもの食卓に一本の酒が添えられます。あの事件以来、禁酒していた勝五郎は、何事かと驚きます。
「実はね、あの財布は夢じゃなかったんだよ。あんたを罪人にしたくなくて役所に届け出たけど、落とし主が現れなくて下げ渡しになったのさ」
狐につままれたような顔の勝五郎。それじゃあ──と盃を口にしようとした瞬間、手を止めます。
「いやよそう。また夢になるといけねえ。」

しかし、その穏やかな芝浦の浜にも、時代の波が押し寄せてきます。

1853年、東京湾に黒船来航。
異国の蒸気船が立ちのぼらせる黒煙は、江戸の町からも見えたといいます。
幕府はあわてて防衛に乗り出しました。

それは、東京湾に砲台を備えるための「お台場」を築くこと。
江戸城の築城に肩を並べる大事業は、浅瀬が広がる東京湾だからこそ可能でした。
竹芝から東京湾を望めば、遠くにお台場の影をいまも認めることができます。

なぜ東京都“港区”なのか? その理由はひとつではありません。
藻塩を積んだ舟や漁師の舟が行き交う港町、あるいは、月見に集う人々や落語に描かれた庶民の姿も、この土地のもうひとつの「港の記憶」と言えるでしょう。
幾重もの時代の層が重なりあい、その積み重ねが「港区」という名に宿っているのかもしれません。

そして、時代は明治へ。激動の時代に芝浦はどんな変化を迎えるのでしょう。

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