闇に浮かび上がる大阪城。
昼の華やかさとは異なり、その影にはもう一つの顔が潜んでいます。
今回は、そんな大阪城の裏側の物語をご紹介しましょう。
大阪城といえば、豪華絢爛・天下人・秀吉の城──そう思う人が多いことでしょう。
しかし、そのイメージが広まったのは、意外にもごく最近のこと。
1983年、築城四百年を記念して開かれた「大阪城博覧会」。
このイベントを境に、大阪城は「秀吉の華やかな城」という一面を前面に打ち出すようになりました。
では、それ以前は、どんな顔を持っていたのでしょうか。
明治以降、大阪城の広大な敷地は、長く軍事拠点として使われていました。
その中心にあったのが「大阪砲兵工廠」──東洋最大の兵器工場です。
日清戦争、日露戦争、そして太平洋戦争。
ここでつくられた武器と弾薬は、大阪城の立地を活かし、鉄道や港から全国へと送り出されていきました。
工場は金属加工の分野で当時の日本最先端の技術を誇りました。
兵器だけではなく、水道管などの配管や、橋の構造物など、さまざまなものを作っていたといいます。
とはいえ、市民が気軽に訪れるような場所ではなく、いつのまにか「近寄りがたい場所」になっていました。
そして1945年8月14日、終戦前日。
この地は大阪最後の大空襲に見舞われ、工場は8割以上が破壊されます。
「人びとは大阪の中心に赤い砂漠を発見した」
作家・開高健は、終戦直後の惨状をそう表現しています。
山のように積み重なった鉄とコンクリート、砕け散ったレンガが、荒涼たる廃墟を形づくっていたのです。
その残骸を掘り返し、鉄くずを売り捌く人々は「アパッチ族」と呼ばれました。
焼け跡は不発弾の危険があるとして、約二十年間放置されています。
その中で、レンガ造りの明治建築、大阪砲兵工廠・本館は奇跡的に残り、
やがて「平和の象徴」として人々に親しまれる存在となりました。
しかし、1981年のある日、その本館も突然取り壊されてしまうのです。
新聞には「なぜ人目避け強行」──そんな見出しが踊りました。
そして幕を開けたのが、1983年の「大阪城博覧会」。
大阪築城400年を記念すると同時に、大阪城公園の未来を描き出す祭典でした。
公園全体を巨大なパビリオンに見立て、庭園や広場、ホールを舞台に展示やコンサートが連日繰り広げられます。
開幕式には、当時の皇太子ご夫妻をはじめ、国内外から約九千人が参列。
協会長を務めた松下幸之助が、「大阪21世紀計画」の開幕を高らかに宣言しました。
この祭典に合わせて新設されたのが、大阪環状線の大阪城公園駅。
そして本館の跡地には、大阪城ホールが建ち、軍都の記憶は静かに幕を下ろすこととなりました。
夜のランニングで目にするモニュメントのいくつかは、その時代の名残かもしれません。
足を止めて眺めれば、この城が華やかな歴史と同時に、軍需と産業の拠点でもあったことに気づくでしょう。
大阪はモノづくりの町。
大阪砲兵工廠は、当時、六万人もの人々が働いていました。
戦争には敗れましたが、彼らにとってはここで過ごした日々は青春の一部であり、
ここで培った技術は、戦後の職人や技術者としての人生を支える力となっていきます。
松下幸之助もその一人。軍需で培った経験を武器に、日本を代表する企業を築き上げていったのです。
大阪城の周りには、光と影、二つの歴史が折り重なっています。
昼に輝く城の姿だけでなく、夜に潜む記憶へも思いを馳せながら、走ってみてください。
走りながら目に映る大阪城は、時代の記憶を語りかけてきます。
「RUN RUN LEARN」──走りながら学び、歴史を駆ける旅。
夜の大阪城は、あなたの足音と重なり合いながら、もうひとつの物語へと誘ってくれるでしょう。
※このガイドは、取材や資料に基づいて作成していますが、ON THE TRIP の解釈も含まれています。諸説ある部分もありますが、真実は、あなた自身の体験の中で見つけてください。