その醤油について、話しておかなければなりません。この島に醤油をもたらしたのは、誰だったのか。
言い伝えによれば――それは、石を切りに来た男たちでした。大坂城の石垣工事のために島へやってきた部隊は、故郷から食料や調味料を持ち込んでいました。そのなかに、島の人々が見たことのない調味料があったのです。当時、日本一と評判だった紀州の醤油です。ひと口なめた島の人々は、この味を自分たちの手でつくりたいと考え、海を渡って紀州まで製法を学びに行った、と伝えられています。
考えてみれば、この島ほど醤油づくりに向いた場所はありませんでした。もともとこの島は塩の産地で、余るほどの蓄えがあった。冬でも温暖な気候は、発酵をゆっくりと、深く進めてくれる。大豆や小麦を運び込み、できた醤油を大坂へ売りに出るための海運もある。石がきっかけの火種を落とし、島の条件がそれを大きく燃やした。そうして小豆島は、醤油の島になっていきました。
最盛期の明治時代には、島に400もの醤油蔵があったといわれます。その中心だった一帯は、いまも「醤の郷」と呼ばれ、黒い壁の蔵が並ぶ通りには、醤油の香りが漂っています。壁が黒いのは、古びたからではありません。醤油をつくる微生物が棲みつき、建物ごと発酵の場になっている証です。蔵の中では、大人の背丈を超える杉の大桶が並び、100年を超えて使い込まれた桶に、いまも新しいもろみが仕込まれています。木の桶で醤油をつくる蔵は、日本全体でもごくわずかになりました。その貴重な木桶が、いまいちばん多く残っている場所が、この小豆島なのです。

石の島。伝承の島。醤油の島。一見すると別々に見えるこの島の顔は、すべてひとつの物語でつながっています。その物語は、海を隔てた姫路とも、深く結びついています。姫路と小豆島は、なぜ結ばれてきたのか。きっと、その答えは、この海の上にあるのです。

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