八丈富士の中腹、標高およそ500メートル。柵の向こうで、牛たちがゆっくりと草を食んでいます。
顔を上げれば、眼下に島の全景と、どこまでも続く海。牛を眺めているのか、海を眺めているのか、わからなくなる場所です。
でも、ふと不思議に思いませんか。なぜ絶海の孤島に、牛がいるのでしょうか。
牛は、船に乗ってきました。もともとこの島の牛は、ミルクのためではなく、働くために飼われていたのです。急な坂の多いこの島で、荷物を運び、畑を耕す。明治の頃には、多くの農家で牛が飼われていたといいます。牛は家族であり、仲間でした。
やがて昭和になると、島には乳牛が導入され、温暖な気候と豊かな草に恵まれた八丈島は、「酪農の島」として栄えました。最盛期には、島のあちこちで乳牛が飼われ、島には大きな練乳の工場もつくられました。
同じ頃、この島にはもうひとつの呼び名がありました。「東洋のハワイ」。海外旅行がまだ夢だった時代、常春のこの島は新婚旅行の憧れの地で、大きなリゾートホテルが建ち、飛行機が観光客を運び続けました。牛乳と観光。島がいちばん賑やかだった時代です。
しかし、時代は流れます。海外旅行が自由になると、人々は本物のハワイへ飛ぶようになりました。練乳工場は閉鎖され、島の酪農家は次々と牛を手放し、あるいは和牛の繁殖へと転換していきました。かつて牧場をにぎわせた乳牛は、姿を消していったのです。
そして、今あなたの目の前で草を食んでいるのが、その和牛たちです。このふれあい牧場は、島の畜産農家から子牛を預かり、育てて、それぞれの牧場へ送り出す、大切な役割を担っています。
2012年、島の別の場所では、茶色い毛並みのジャージー牛による新しい放牧酪農が始まりました。いま、島の牛乳やジェラートには、そのジャージー牛のミルクが使われています。
荷物を運ぶ牛から、乳牛へ。そして和牛へ。時代とともに姿を変えながらも、この島から牛がいなくなることはありませんでした。
ちなみに──地元の人だけが知っていることをひとつ。この牧場は、島有数の星空スポットでもあります。街の灯りから離れたこの高さで見る星空は、息をのむほどです。昼は牛が草を食み、夜は満天の星が降る。
風が吹いています。草の匂いと、ミルクのような雲。
牛たちは今日も、海を見下ろしながら、ただ草を食んでいます。

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