ここまで来る道は、決して楽ではありません。細い山道を登り、急な坂を越え、その先にようやく、小さな教会が姿を現します。「どうして、こんな場所に教会があるのだろう。」そう思った方もいるかもしれません。
江戸時代の終わり、五島へ渡ってきた潜伏キリシタンたちは、豊かな土地を与えられたわけではありませんでした。港に近く、漁もできるような場所には、すでに人々が暮らしていました。新しく渡ってきた潜伏キリシタンたちに残されていたのは、まだ誰も住んでいない山あいの土地ばかりだったのです。
赤波江も、その一つでした。人々は、山の中で、わずかな平地と湧き水を探して暮らし始めます。耕せる土地は、ほんのわずか。畑を掘れば、すぐ岩に当たります。それでも、この場所なら、人目を気にせず祈ることができました。この辺境だからこそ、守ることのできた信仰があったのです。
その暮らしは、決して楽ではありませんでした。米を育てることはほとんどできず、人々を支えたのはサツマイモでした。収穫したイモは、「芋がま」と呼ばれる床下の穴に保存し、さらに薄く切って干して「かんころ」にしました。今では五島を代表する郷土菓子ですが、その始まりは、厳しい暮らしを生き抜くための保存食でした。
やがて禁教が解かれると、人々は隠れる必要がなくなります。そして、この集落にも教会が建てられました。赤波江では、祈りだけが、人々のよりどころだったのかもしれません。苦しいから祈る。祈るから前を向ける。その積み重ねが、この土地に深い信仰を育んでいきます。だからでしょうか。この小さな教会から、多くの神父や修道者が生まれました。
しかし、時代は流れます。今、この集落で暮らす信徒は、わずか一人。それでも教会の祈りは、仲知教会の信徒たちに支えられながら、今も受け継がれています。この教会から見える景色も、昔と大きくは変わっていません。教会の前から、海を眺めてみてください。正面には五島灘。その向こうには、野崎島が浮かんでいます。この海を前に、人々はどれほど祈りを重ねてきたのでしょう。