この旅で、私たちはひとつの物語を見てきました。迫害を乗り越えた潜伏キリシタンが、美しい教会を建て、ようやく堂々と祈れるようになった物語です。けれど、すべての人が同じ道を選んだわけではありませんでした。
実は、この桐という集落から、信仰を公にする動きが始まりました。頭ヶ島でお話しした「信徒発見」。その知らせを受けて、長崎を訪れたのはドミンゴ森松次郎だけではありません。もうひとり、ガスパル与作という青年がいました。与作は大浦天主堂でプティジャン神父と出会い、その教えを学んで桐へ戻ります。
そして、人々にこう語りました。「神父は、本当にいた。」その一言は、代々語り継がれてきた「いつか神父が戻ってくる」という願いが、本当だったことを意味していました。待ち続けた日が、ついに訪れたのです。「もう隠れるだけの時代は終わるかもしれない。」人々は、大きな希望を抱きます。やがて十四人の信徒が、自らキリシタンであることを役人へ届け出ました。それは、五島で初めて、潜伏キリシタンが自ら信仰を公にした出来事でした。けれど、その勇気ある決断は、村全体を揺るがすことになりました。
村には、まだ何百人もの潜伏キリシタンが暮らしていました。信仰を公にすることは、自由への第一歩です。けれど同時に、まだ隠れて暮らす人々も捕らえられ、拷問にかけられる危険もありました。人々は、二つの選択を迫られます。信仰を公にするのか。それとも、仲間を守るため、これまで通り隠れ続けるのか。どちらも、信仰を守ろうとした選択でした。
信仰を公にした十四人が捕らえられると、残された人たちは、その人たちを閉じ込める牢を造るよう命じられたと伝えられています。それはまるで、もうひとつの踏み絵でした。逆らえば、自分たちも捕らえられ、同じ牢へ入れられる。そんな選択まで迫られたのです。
堂々と信仰を明かした人々は言います。「もう隠れる時代は終わった。なぜ、一緒に立ち上がらない。」一方、隠れ続けた人々は思いました。「それは本当に大勢の仲間を危険にさらしてまで、やることなのか。」こうして、人々の心には、簡単には埋まらない溝が生まれていきます。
数年後、ついに禁教が解かれます。250年以上待ち続けた信仰の自由です。各地で教会が建ち始め、人々はようやく堂々と祈れるようになりました。けれど、それでも教会へ戻らなかった人たちがいました。後に「カクレキリシタン」と呼ばれる人たちです。信仰を捨てたからではありません。むしろ、その逆でした。本当は教会へ行きたかった。神父にも会いたかった。それでも、戻ることができなかった。
教会は、迫害の中で声を上げ、多くの犠牲の上に勝ち取られた、信仰の自由の象徴でもありました。その教会へ入ることは、あのとき自分たちが選ばなかった道を受け入れることでもありました。「あのとき隠れ続けた自分たちの選択は、間違っていたのだろうか。」そんな思いが、教会の扉を重くしていたのかもしれません。さらに、教会で教えられる祈りや儀式、祈りの言葉まで、神父がいない時代に受け継がれてきたものとは、少しずつ違っていました。250年以上守り続けてきた祈りを、簡単に変えることはできなかったのです。
一方、教会へ戻った人々にも、守ろうとしたものがありました。ようやく神父が戻った今、本来の教えへ立ち返ろう。そう考えたのです。「この祈りは違う。」「この儀式は本来のものではない。」教会では、受け継がれてきた祈りが少しずつ改められていきました。どちらも、信仰を守ろうとしていました。だからこそ、歩み寄ることは、とても難しかったのです。
同じ村に住みながら、教会へ通う人と、家で祈り続ける人。やがて住む場所まで少しずつ分かれていきました。迫害が終われば、すべて丸く収まる。歴史は、そんな単純なものではありませんでした。
この旅で見てきた教会は、信仰の自由を勝ち取り、その願いが形になった場所でした。けれど、その光が差したとき、その光の中へ、どうしても歩いていけなかった人たちもいました。桐教会が語りかけているのは、教会を建てた人々の歴史だけではありません。教会へ戻ることができなかった人たちの物語もまた、この場所に刻まれているのです。