咲く花の におうがごとく いま盛りなり──「奈良の都は」といえば華やかに聞こえるが、その裏には陰謀うずまく闇が立ち込めていた。

時の帝、聖武天皇の妻は光明皇后。藤原家の女性であった。しかし、後継者となるはずの息子がおらず、娘が後を継がねばならぬ事態が起きた。女帝「孝謙天皇」の誕生である。その背景には「何が何でも藤原家の血を天皇家に送り込みたい」という藤原家の陰謀があった。

若くして天皇になった孝謙天皇は母親の言う通りにするほかなかった。そして、母親が連れてきた「藤原仲麻呂」と共に国をまとめることになる。その一方で反発もあった。「藤原家にしてやられてたまるものか」そう考える勢力がクーデターを起こしたのだ。しかし、藤原仲麻呂がこれを鎮圧。それから10年後、孝謙天皇は生前退位する。母である光明皇后を看病するためだった。これを機に権力を握ったのは藤原仲麻呂。藤原家の一族を次々と要職に送り込み、政治も経済も掌握するようになっていった。

光明皇后が亡くなると、孝謙上皇もまた病に伏せるようになる。このとき、治療にあたったのが「道鏡」という僧侶だった。その看病によって病を克服した孝謙上皇は道鏡に信頼をよせるようになる。そして、藤原仲麻呂によって藤原家の私物となった政治を目の当たりにする。元はと言えば、若き自分が撒いた種。それを悔いていたのかもしれない。孝謙上皇は特定の一族に権力が集中すること、そこから生まれる政治腐敗を極端に嫌っていたのだ。

そうして再び政治に関わりはじめた孝謙上皇。その相談役には天皇家にも藤原家にもしがらみのない道鏡がなった。藤原家の権力を分散させようとするふたりに対して、藤原仲麻呂は反乱をくわだてる。しかし、それを察知した孝謙上皇は、道鏡と共にこれを鎮圧。仲麻呂の言いなりであった当時の天皇も追放した。そして、再び新天皇の座につき、名前を「称徳天皇」とあらためた。

使命感もあらたに再出発した女帝。その理想は、父親である聖武天皇のように、仏教で国を平和に導くこと。その想いが西大寺をつくらせることになる。

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