【展示「萩のみる夢」、音声ガイド7番「100年後にみる夢」をご利用いただき、まことにありがとうございます。
このガイドは、音声に沿って、建物を回遊しながら聞くことをおすすめします。
それでは音声ガイド7番「100年後にみる夢」をはじめます。】


みなさん、HAGISOヘようこそ。
このガイドでは、私と一緒に建物に残された様々な痕跡から、重要文化財HAGISOの歴史と、その秘密を紐解いていきましょう。

それでは、まずは建物の概要からご説明いたしましょう。

ここ、ハギソウは、1955年、今から162年前に創建されました。
この谷中地域は、太平洋戦争での戦火を免れ、街としても比較的回復しやすかったという背景があります。
1955年、ハギソウは地方からの単身者向けの住まいとして生まれ、以来、住居として長い年月を過ごします。
1990年代には世帯向けに1階部分が改装。
さらに2004年から、東京芸術大学の学生が共同生活を行い、自由に部屋を改装しました。
2011年、東日本大震災の影響で、耐震性の問題が取り上げられ、一度は取り壊しが決定します。しかしその後、建築家・宮崎晃吉の手により改修。
2013年、最小文化複合施設HAGISOとしてオープンしました。
2027年には、大型台風の襲来により、2階部分が大きな損傷を受けますが、修復工事を経て復活。
2056年には、谷中3丁目地域の再開発による区画整理に該当し、退去を余儀なくされますが、署名活動および地域の抗議運動が加熱。再開発は中止されます。
幾度もの問題を乗り越え、発展しますが、2110年、ついに最小文化複合施設としての機能を終了しました。
現在は、建物自体の歴史的価値の保存、および、最小文化複合施設の重要事例として、重要文化財に指定されています。


それでは、建物の中を見てみましょう。1階の、入り口から入り、ガラスの引き戸を開けてください。向かって右手、白い壁をご覧下さい。

これら3方の壁は、竹小舞と呼ばれる割竹を格子状に組んだ下地の上に、粘土状の泥を塗り付けて生成されています。
断熱性に優れ、1955年当時の一般的な住居の作り方です。
のち、2012年の改修工事では、素材はそのままに、上からベニヤ板を打ち、表面に白色ペンキを塗装。現在の姿に至ります。
改修後は、美術をはじめとしたさまざまな「展示」に使用されました。
2013年から、延べ1832もの内容の美術展・企画展・イベントが実施され、都度、多様な装飾が施されました。
釘付けを行ったり、壁に直接文字などを描いたりと、用途によって自由に使用されました。
また展示が終わるごとに、開けられた釘穴はパテで塞がれ、白色ペンキが塗られました。
目には見えませんが、使われた跡が何層にも重なっています。

続いて、振り返り、後ろをご覧下さい。こちらも初期は住居として使用され、2013年以降はカフェとして営業されていました。
正面右の窓は、住居の頃からあったもの。
正面左の細長い窓は、改修の際、元の窓の3分の1を残し、飾り窓として設置されました。
これらは、開放感および採光のため、そして居心地の良いカフェ空間を意図して改修されました。
カフェでは、日本全国の地域食材を取り入れた朝食、季節ごとに変わるメニューを提供するなどして話題を呼び、常にたくさんのお客さんで賑わっていたといいます。


それでは二階へと上がりましょう。玄関の方へ進み、階段をお上がりください。


踊り場の壁に扉があります。ここには、小部屋があったと考えられています。
共同のトイレとして存在していたと思われますが、史実にはなく、想像の域をでません。この扉は恐らく、その名残でしょう。

二階の廊下へとお進みください。

こちらは、住居時代は7部屋存在していました。
最小文化複合施設となってからは、美容院、建築事務所、ホテルの受付、雑貨店、保育施設、図書館、ヨガ教室など、利用者と用途によってさまざまなテナントが構えました。
上をご覧下さい。こちらの天井も、創建からほぼ変わらず残されています。
もともとは板があったようですが、何らかの理由で、天井が落ちてしまい、屋根部分が見えるようになったと言います。
一説には、天井裏に作品を設置しようとした美術家が、また一説には、密かに天井裏に荷物をおいていた老婆が、板を壊してしまい、下に落ちて来たと言われています。

さて、廊下のなかほど、白い扉をでて、バルコニーへお進みください。

正面に大きな窓が残っているのがお分かりですか?
窓からお墓が見えますね。こちらは、ハギソウに隣接したお寺「宗林寺」のお墓です。
実は、このハギソウも同じお墓でした。江戸時代より続く宗林寺の境内にある、墓地だったのです。そのお墓を一部移動させ、このハギソウが立てられました。
宗林寺では、毎年、萩の花が咲き乱れます。その萩が、このハギソウの名の由来でもあるのです。


では、再び一階へとお降りください。

階段の脇に、看板があるのがおわかりでしょうか?
漢字で「萩荘」と書かれています。この看板は、2115年、文化財として指定され、区の職員が立ち入った際に発見されました。住居時代のものと思われます。
最小文化複合施設となってからは、アルファベットでHAGISOと書かれました。

最小文化複合施設という名は、当時の巨大資本によってできた 数多(あまた)の大規模な複合施設に対し、生み出された呼び名です。
既存の建築物に価値を見いだし、一つの場所を、その時々によって機能を変えることで、小さくても、複合的で文化的な場所を生み出す、という目的がありました。
また、公的な資金をベースにせず、いかに公共的な場が作り出せるか?という、実験的な存在でもありました。

このような、さまざまな歴史と価値を踏まえ、2115年に重要文化財として指定されました。


建物に残されたさまざまな痕跡から推察すると、当時のことについて想像が膨らみますね。
この建物には、どのような人がいて、どのように過ごし、なにを、感じていたのでしょうか。


【以上で、音声ガイド7番「100年後にみる夢」を終わります。】

[テキスト:東彩織 声:稲継美保]

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