「無宗教である」と、日本人は言う。

多くの日本人は、教会で結婚式をして、家族でクリスマスを祝ったかと思えば、お葬式ではお坊さんにお経を唱えてもらう。お正月になると、日本で二番目に多くの人が集まるのは、ここ「成田山新勝寺」であるが、一番多くの人が集まるのは「明治神宮」という神社である。お寺は「仏教」で、神社は「神道」。ここでも異なる宗教がごちゃ混ぜになっている。かくして、自分でも何を信じているのかよくわからなくなり、「無宗教である」と口にするのかもしれない。しかし、その言葉の裏には「あえて言うなら仏教徒かなぁ」という思いが隠れていたりもする。

さて、冒頭の写真である。成田山新勝寺には、年末年始の3日間だけで300万人もの人が訪れる。「無宗教である」と言いながら、どうしてお寺にやってくるのか。むかしむかしの時代には、五穀豊穣や無病息災など、 “自分の力ではどうにもならないこと” を神様・仏様に祈る習慣があった。神社にいる神様もお寺にいる仏様も、庶民にとって違いはなく、人間を超越した存在にお祈りをしていたと思われる。しかし、科学が発展した現代においては、祈るよりほかにできることが増えた。こうして宗教離れが進んでいったのは、日本だけではないだろう。

しかし、こと年末年始においては、ひとつの区切り。これまでの一年を振り返り、新しい一年の抱負を宣言するために多くの日本人がこの地を訪れる。それをするには神様・仏様の前でありたいと思うのだ。それは昔ながらの習慣として生活の中に息づいている。まるで忘れられた器官とされる盲腸や親知らずのように、日本人の中に残っているのである。

もしかすると、日本人は無宗教なのではなく、無意識であるだけなのかもしれない。日本人の暮らしには隅々まで仏教が溶け込んでいる。形だけの習慣が残り、意識が薄れてしまった今でも、お寺には昔の人が様々な意味を込めて作った物が、昔のままで残されている。300年前の江戸時代の人たちと同じ道を歩いて、同じお寺に行くことは、その意味がもたらす物語を通過していると言えるのだ。

たとえば。そもそも、お寺の多くは「御本尊となる仏像」を雨風から守るために建てられたものである。人々は目に見える立派な建物ではなく、その中にある尊像──多くは秘仏として見ることも叶わない──に会うためにお参りをしに来ている。成田山新勝寺の場合は「不動明王」の仏像である。今回の旅は、この不動明王に会いに行く旅とも言えるわけだ。では、新勝寺の本尊・不動明王とはどんな仏様なのか。

そこに秘められた物語を知るために、まずは成田山新勝寺の成り立ちと、その歴史をご紹介したい。成田駅に着くまでの時間を使って「コラム1」を読んでほしい。

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