二の郭は「大奥」であり、城主の寝床となる建物があった。

中城グスクは、もともとあったグスクに護佐丸が大きく手を加えたもの。その歴史は城壁にあらわれている。石の積み方を見てほしい。時代によって大きく3種類に分けられるのだ。野面積み、豆腐積み、亀甲乱れ積み、である。

まずは、野面積み。自然の石をそのまま積み上げた古い積み方である。つぎに、豆腐積み。ブロック状に加工した石を積み上げた進化系である。ここまでが、護佐丸が来る前から存在していた城壁だ。

護佐丸はそこからさらに画期的な城壁を築き上げた。それが「亀甲乱れ積み」である。石を多角形に加工して、互いに噛みあうよう複雑に積み上げるこの技法は、耐久性に富んだ最高峰の技術とされている。

「三の郭」と「北の郭」は護佐丸が新たに継ぎ足した郭なので、すべての城壁が「亀甲乱れ積み」で構成されている。ただし、「一の郭」や「ニの郭」にも「亀甲乱れ積み」になっている部分がある。それは護佐丸が修復のために手を加えた部分というわけだ。

石積みの技術が発達した理由は、島で採れる石が加工しやすい石灰岩だからである。この島は、サンゴ礁が海から隆起して生まれた島。石灰石は鉱物というより生物に近いため、やわらかいのだ。その証拠に城壁の石をよく見ると貝殻が埋まっていたりする。

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