正殿一階、下庫理。ガラス張りの地下に見えるもの。あなたはこれを見るために首里城に来たと言えるかもしれない。世界遺産に登録されているのは、これまで見てきた首里城ではない。「首里城跡」だからだ。

これは、かつての首里城の基壇である。基壇が何重にも並んでいるのは、古い基壇の外側に、新たな基壇を築いていったから。建て直しのたびに、ひとまわり大きく、より強固に再建していった跡なのだ。

ちなみに、現在の基壇とは外から正殿を見たときに下のほうにあった石積みの部分のことである。世界遺産である遺構を守るため、現在の首里城は70cmほど底上げされて復元されている。

──それからわずか数十年後。太平洋戦争・沖縄戦によって首里城も灰塵に帰す。

この時代について、もう少し詳しく見ていこう……と思ったが、ここではあまり多くは語ることができない。

琉球王国が解体されてからの首里城は荒廃していくいっぽうであった。

しかし、太平洋戦争が起きると沖縄は戦場となる。結果、首里城は木の一本も残らないほど荒野と化した。

日本の敗戦が決まると、沖縄はアメリカが統治することになった。荒野になっていた首里城の跡地には「琉球大学」が建てられた。アメリカ統治下の時代は30年ほど続いたが、1972年、沖縄は日本に返還された。

しかし、音声なしで語りかけているこの文書。それも、ここまで読んでくれているあなたにこそ託したい。沖縄の戦後史は、あなた自身の目と足で追いかけてみてほしい。

Select language