日別朝夕大御饌祭でお供えされる、水、米、塩、海の幸や山の幸。そのすべてを伊勢神宮は自給自足している。
伊勢神宮は「神宮神田」という田んぼを持っていることは先に述べたが、野菜や果物もまた五十鈴川の水をひいた「神宮御園」で育てられ、およそ50品種、常に旬のものを出せるようになっている。それも、日別朝夕大御饌祭で使う土器にあう大きさに育てられるというが、その土器もまた自給自足。清浄さを保つため、一度使った土器を再利用することはない。細かく砕いて土に返すのだという。それでも、「土器調製所」では人間の指の跡がついたりしないよう細心の注意を払いながら年間およそ6万個もの土器をつくっている。
塩は「御塩殿」で。五十鈴川の河口にある浜に海水をひきこみ、真夏の日差しで蒸発させて塩分濃度を高める。それを煮詰めて、焼き固める。ここには塩を長期保存するための知恵も残されている。ほかにも、伊勢湾では鯛や鮑、昆布や海苔なども採っていて、日々、御飯の御数になっている。
食べ物だけではない。伊勢神宮は「衣食住」のすべてを自給自足している。
衣服のもとになるのは絹と麻。「神服織機殿神社」では、女性が絹の和妙(織物)を。「神麻続機殿神社」では男性が麻の荒妙(織物)を。生地の状態で縫い針や糸とともに奉納する祭りがある。
建物に必要な木材も自給自足。伊勢神宮では20年に一度、社殿の建て替えがおこなわれる。「遷宮」については「内宮のガイド」で紹介するが、外宮の正宮を思い出してほしい。あれほどの建物を建て替えるとなると、たくさんの木材が必要になる。そのための木もまた伊勢神宮はその森の中で育てているのだ。
実は、江戸時代に伊勢の森が禿山のようになってしまったことがある。昔のエネルギー源は火力が中心で、暖をとるにも風呂を焚くにも木を燃やしていた。そこに空前のお伊勢参りブームも重なって、伊勢の森を切りすぎてしまい、遷宮のための木材を用意できなくなってしまった。それ以来、木曽にある森のヒノキを使うようになったが、本来は遷宮の木材は伊勢の森でまかなわなければならないものである。
そこで、大正時代に「神宮森林経営計画」が立てられた。それは、200年計画で、伊勢の森での自給率を100%にしようというプランだった。それから100年近くが経ち、当時の人たちは誰も生きてはいないが、計画は着実に受け継がれてきた。その結果、平成25年(2013年)の遷宮では、全体のうち20%ほどの木材を伊勢の森から用意することができた。100年後には100%も達成される見込みだという。
こうして森の環境を守ることは、川の水を栄養豊富にすることにつながり、その川の水が田畑をうるおし、海へと注ぎこむことでミネラル豊富な塩や海産物を育ててくれる。伊勢神宮にあるものすべてが循環しているのだ。だからこそ、ひとつとして絶やしてはいけないのかもしれない。伊勢神宮にとっての自給自足とは、単なるエコロジーではない。山も、川も、海も、あらゆる環境を守ること。それが、日本という国家を永続させることになるという想いによって支えられているのだ。
では、遷宮のあと、社殿に使われていた木材はどうなるのか。解体された木材の一部は、内宮の「宇治橋」にある鳥居となる。宇治橋には「手前」と「奥」にふたつの鳥居があるが、手前の鳥居には外宮の正宮で柱として使われていた木が、奥の鳥居には内宮の正宮で柱として使われていた木が再利用されている。これから内宮を訪れる際には、このことを覚えておいてほしい。あなたが最初に出会う鳥居は、この外宮の正宮を支えていた柱であったことを。
──内宮のガイドにつづく
声の出演:茅原実里
ON THE TRIP 編集部
文章:志賀章人
写真:本間寛
写真提供
神宮司庁
※このガイドは、取材や資料に基づいて作っていますが、ぼくたち ON THE TRIP の解釈も含まれています。専門家により諸説が異なる場合がありますが、真実は自らの旅で発見してください。