ここは心のふるさとか
そぞろ詣れば旅ごころ
うたた童にかへるかな
作家・吉川英治が伊勢神宮で残した言葉である。「心のふるさと」とは、もはや伊勢の代名詞。しかし、吉川英治の出身は横浜だ。伊勢神宮を訪れる人のほとんどが故郷は別の場所にあり、幼い頃の記憶がよみがえることも少ないはずだ。しかし、「心のふるさと」という「感覚」は確かにあるのではないだろうか。
内宮でまつられているのは天皇のご先祖とされる「天照大御神」。ただし、伊勢は天照大御神のふるさとか、といえばそうでもない。天照大御神はもともと奈良の皇居でまつられていた。しかし、およそ2000年前。疫病によって民の半分が死んでしまう事態が起きた。自分たちの何がいけないのか。思い悩んだ天皇が占いをすると「天照大御神をどこか別のよい場所に祀るべし」とお告げが出た。天皇は自分の娘に命じてふさわしい場所を探しに行かせる。そして、紆余曲折を経て「五十鈴川のほとり」に辿り着いたとき、「ここにします」と天照大御神からのお告げが下った。これにより「内宮」が建てられた、と神話は語る。
天皇のふるさとでも、天照大御神のふるさとでもないとすれば、なぜ伊勢が日本人の「心のふるさと」なのか。
「外宮」のガイドでは「日別朝夕大御饌祭」という1500年前から繰り返されてきた祭りについて紹介した。1500年間、毎日、形を変えることなく、ひたすら繰り返すことで守られてきたのは「日本人のあるべき姿」だった。内宮でもそれは同じ。内宮の背後に広がっているのは2000年前から変わらない森の姿。そこに佇む内宮の建物も、その中にある御神体や神宝も。それらを通しておこなわれる数々の儀式も。2000年前からほとんど何も変わっていない。それを象徴しているのが「式年遷宮」。20年に一度、社殿を新たに建て替える神宮最大の祭りである。
風景だけではない。内宮で見られるすべての光景が日本の原風景。伊勢神宮は過去の遺産ではなく、現役の資産である。伊勢神宮で守られてきた日本人のあるべき姿。それを全身で感じることで、現代を生きる人たちもまた「日本人とは何か」を思い出すことができるのだ。
ところで、ぼくたちは「遺伝子」を持っている。遺伝子には自分が生まれる前の記憶、父親と母親よりずっと前の世代の記憶が綿々と受け継がれている。とすれば、伊勢神宮に残る2000年前の記憶もまたぼくたちの遺伝子の中に含まれている。だからこそ、吉川英治は言ったのかもしれない。「うたた童にかへるかな」と。「子どもの頃に戻ったような」というだけではなく、心のふるさと=2000年前の遺伝子が呼応した、日本人としてのルーツを確認することができた。と、そう言いたかったのかもしれない。
あなたにも、そんな「心のふるさと」という遺伝子を呼び覚ましてほしいと思う。