正門である平郎門を抜けると、「七五三の階段」と呼ばれる道がまっすぐ伸びている。両側には桜並木。毎年の「桜まつり(1月~2月)」ではライトアップもされている。しかし、これらの光景は戦後につくられたものである。
今帰仁城は艦砲射撃などの戦争被害は免れている。しかし、その前から300年以上も無人状態が続いていたため、城内は荒れ果てていた。平郎門もまた崩れていたため、戦後になって建て直された。
平郎門は一枚岩が乗っているのが特徴的だが、築城時にあったかといえば疑わしい。むしろ、「やぐら」と呼ばれる木造の小屋が乗っていた可能性もある。が、この一枚岩は今帰仁城の特殊な石灰岩=岩盤を知るにはちょうどいい。地面に埋まってる岩盤がちょうどこの厚みで、これが幾重にも層になっているのだ。硬すぎて切石にするのは難しいが、埋もれた岩盤を引き出すのは難しくない。このような一枚岩を打ち割って城壁として積み上げていったわけだ。
さて、その先に伸びる石畳の道を進んでいこう。途中、城内から城外の景色が見えてしまうこともある。しかし、当時の道の両側には刑務所ぐらいの高さの城壁がずーっと続いていて、その城壁の上から監視員があなたを見下ろしていたはずだ。もちろん侵入者がいれば、上から石を投げ落として攻撃するためだ。死角になるような木々もまた当時はなかったものと考えられる。
石畳の道を進んでいくと、七段、五段、三段、と階段が続く「七五三の階段」がある。これは戦後につくられた道だが、古くから使われていた旧道はちゃんと残されている。途中で右脇にそれるポイントがあるので踏み込んでみてほしい。その先にある旧道はくねくねと曲がりくねり、ただでさえ狭い道は先に進むにつれてますます細くなっていく。わざと足元を歩きづらくしているのは、攻め込んだ敵を足止めするため。そのあいだに裏門から脱出したり戦況を整えたりする時間稼ぎができるよう考えられていたのだ。