市内から伸びる路面電車の終点は「いの駅」。それは仁淀川エリアのはじまりでもある。なぜ、ここが終点なのか。それは、そもそも伊野で作られる「和紙」を高知港に運ぶためだった。そして、その和紙が日本中、世界中へと運ばれていったのだ。
では、なぜ、伊野で和紙が盛んに作られたのか。仁淀川があるからである。和紙を作るには大量の水が必要だ。原料となるコウゾの皮を洗ったり、紙すき体験をすればわかるが、紙をすくにもきれいな水が欠かせない。しかも、仁淀川の上流ではコウゾやミツマタが育てられ、これらの紙の原料もまた仁淀川の流れに乗せて運ばれてきたのであった。
そもそも土佐における和紙の歴史は古く、土佐日記で有名な紀貫之も紙づくりを奨励したという記録が残っており……と書きたいことはいくらでもあるが、ここで紹介するのも野暮である。続きは、ぜひ「紙の博物館」で。