上流で伐採した木材は、仁淀川の流れを輸送路として下流まで運んでいた。はじめのころは仁淀川河口から太平洋に出て、海から城下町に運んでいたが、八田堰などができてからは、海に出ることなく新川川(しんかわがわ)を辿って城下に直接運ぶようになった。そのときのことである。新川川とのジョイント部分に高低差があったので高さ調節のための「おとし」が作られた。
どういうことかといえば、「おとし」の手前にある水門である程度の水を貯めておき、それを解き放つことで一気に木材を流し落とすのだ。「イカダのり」という余興もあり、木材をサーフボードのようにして筏師が激流を乗りこなしていく。そんなサーフィンならぬ「カワフィン」もおこなわれていたという。