部屋に入ると目につくのは大きな鶴。そして、“遠くを見ると”こっちに向かって飛んでくる鶴がいる。飛んで行く鶴ではなく、飛んで来る鶴。ということは、先に到着している鶴が目の前にいることになる。長い旅路を経て、今まさに降り立ったばかりの鶴が、である。
実は、この部屋は全国を行脚する修行僧のためのゲストルーム。修行僧は夜になると宿を求めてやってくる。「どこどこのお寺から来た者ですが一晩泊めてもらえませんか?」と。そして、草鞋を脱いで、足を拭いて、まず、この部屋に通されるのである。
想像してほしい。はじめて訪れる旅先のお寺で修行僧は少し緊張している。そんなとき、この襖絵を見るとどう思うか。鶴という先客が先にくつろいでいるな、と、自分もリラックスできる。旅をする鶴という存在と自分の存在を重ねあわせることができる。そうして旅の修行僧がゆっくりと休めるようにと考えた芦雪の粋な計らいではないだろうか。
おさらいしよう。右から左に見ていくと、まず葦の木があることで、本堂の片隅の部屋が早変わり。大湿原にポツンと立つ庵にテレポーテーションさせられる。葦の木はそのための仕掛けである。そして、遠くを見ると──「遠くを見る」という感覚はあえて襖が直角に交わるところに描くことで生まれている感覚である──どこからか鶴たちが飛んで来る。そして、目の前に止まって休息をはじめているわけである。
これまでの部屋とは対照的。とてもシンプルに描かれている。が、よく見ると白く見える部分にも薄暗い墨がかかっている。これは汚れではない。夜のとばりが今まさに降りようとしている。が、地面にはまだ夕日の照り返しが少し残っている。そんな時刻を表している。それをちゃんと部屋の西向きに、太陽が沈む方角にあわせて描いている。ただのシンプルではない。「大湿原を全面に描かなくても、これだけの世界をつくりあげることができるんだ」そんな芦雪の声が聞こえてきそうである。
そういうところもまた芦雪の魅力。どちらかといえば、応挙は仕掛けを見せない。まるで本物のように見えるためのロジックとして絵の裏に潜ませる。対して、芦雪は仕掛けそのものを楽しませる。マジックの種明かしがいちばんおもしろい、とでも言うかのように。
この部屋にある襖絵は、芦雪の作品集のような図録では、どうも選外になりがちだ。
ひとつ前の画像のように、襖絵を本堂から切り離して、平面に並べてしまうと分からないが、実際に本堂で、あるべき配置で目にすると、この絵は輝きを増す。収蔵庫ができたのは1990年だが、住職が本堂に芦雪の襖絵を蘇らせたのは、2009年。そのとき、収蔵庫とのギャップでいちばん驚いたのはこの絵だったという。