鳳凰堂①:美しい平等院はなぜ宇治に建てられた?

平等院廊は雅で華やかだ。左右対称に伸びる翼廊は軽やかで、羽根を広げる鳥のよう。湖面に映るその姿もまた良し。もしチャンスがあれば朝日に照らされる鳳凰堂をみてほしい。金色に輝く姿に思わず息を飲むだろう。

鳳凰堂を見る人の多くは、頭の片隅にこんな思いを抱くのではないだろうか。「なぜ宇治に、これだけ立派な建物が建っているのだろうか?」と。宇治は京都や奈良と異なり、目立った史跡は少ない。世界遺産に登録される建物が、なぜそんな場所に残っているのか。

時代を溯ろう。宇治は京都と奈良のほぼ中間地点にあり、水源に恵まれたため昔から交通の要所。京都からの距離も牛馬で半日程度とほどよく、貴族たちはここに別荘を建てていった。気候も温暖である。その別邸のひとつが平等院に姿を変えたのだ。

別邸を寺院に変えたのは、関白・藤原頼通。彼は「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば(この世は私のためにあるようなものだ。満月のように何も欠けているものはない)」と詠んだ藤原道長の長男。

道長は天皇陛下を補佐する摂政の座につき、絶大な権力を持った人物で、その息子の頼通の財力も国で一、二を争うものだった。

後ほど鳳凰堂内部の装飾を紹介するが、それは豪華絢爛で、現代的で合理的でもある。貴重な材料をふんだんに使い、多くの職人・候人たちが技術の粋を振り絞らなければあのような装飾は施せなかったはずだ。そうしたことが可能だったのは「この世を我が物」と考えるほどの藤原家の力に由来していた。

こう聞くと鳳凰堂の内部を見たくなるが、お楽しみはとっておこう。何事も知識があった方が発見も多い。境内をまわり予備知識を持てば、お堂内部がより楽しめるだろう。

鳳凰堂内部は、入ることのできる人数と時間に制限がある。まずは鳳凰堂にかかる橋のそばにある受付で予約をしよう。

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