なぜ、下宿の御師の家は敷地が狭いのか。

下宿が増設された1606年は戦国の世が終わり、江戸時代がはじまるころ。つまり、京都の規格でつくられていた町づくりが、江戸の規格でつくられるようになったころ。時代の違いが敷地の違いを分けたのだ。

さて、この敷地のメインストリート沿いには「山口染物店」がある。この敷地はその裏側にあたるわけだが、ここには、藍染めの道具や資料が当時のまま保存されている。さらに工場には藍染めの神さまである「愛染明王」も祀られているとか。

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