上吉田は、昔ながらの町の骨格が残っている。町の裏側を歩いてみると、1572年に移設された上吉田という町が、当時の人の意思によって、かなりの計画性を持って築かれたことがよくわかる。

そしてまた「御師の家の宿場町」というユニークな個性も持っていた。その形跡は、今となっては分かりやすいぐらいたくさん残されているようにも思えるが、このガイドを使う前の自分と比べてみると、どうだろう。何も知らなければ、すべてを見過ごしていたかもしれない。

もしかすると、あなたの町にも何かしらの痕跡が残っているかもしれない。このガイドを最後まで使ってくれたあなたにこそ、おすすめしたい。ぜひ、ふだんは歩かないような町の裏側を歩いたり、図書館で地誌学を調べてみたり、自分の町について語れるようになってほしい。

昔の写真を探してみるのもいいだろう。写真が残されているのは江戸時代末期、あるいは明治時代以降になるが、それでも、現在の風景からは思いもつかぬ光景がよみがえるかもしれない。

このガイドでは「御師の町・上吉田」について紹介してきたが、富士吉田には「上吉田」のほかに「下吉田」がある。下吉田は「機織の町」。上吉田とはかなり性格の違う町であるが、それもそのはず。1951年に市町村合併するまで別の町だったのだから──

ON THE TRIP. ぼくたちの旅は続く。








ON THE TRIP 編集部
文章:志賀章人
写真:本間寛
声:五十嵐優樹




写真協力

志村政文「上吉田村絵図」、ふじさんミュージアム蔵「上吉田」「御師中雁丸前・大丸正講の見送り」「御師小猿屋・刑部旅館・ウェストン夫妻・強力」「御師「浅間坊」と富士講」、個人蔵「御師上文司家のタツミチ・御師と富士講」「御師菊谷前・丸星講・日蓮祭典」「大国屋神殿横」








※このガイドは、取材や資料に基づいて作っていますが、ぼくたち ON THE TRIP の解釈も含まれています。専門家により諸説が異なる場合がありますが、真実は自らの旅で発見してください。

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