さて、いちばん印象に残った宝物をひとつ、選ぶことはできただろうか?

このガイドの地図画面を広げてみてほしい。そこでは、その宝物をより深く味わうための「旅先」を提案している。博物館での体験を経たあとで訪れてみると、その場所がより興味深く見えたり、愛着を持って見えたりと、さまざまな想像がふくらむはずだ。ぜひ、新たな旅のはじまりを楽しんでみてほしい。

博物館とは「物をして語る」場所。

このガイドは沖縄県立博物館・美術館の中で博物館の常設展を中心に、学芸員の方々と一緒に作成した。学芸員の方々は、各自の専門分野で並ならぬ情熱を持って、日々研究を重ねている。


沖縄県立博物館・美術館は、特別な博物館だ。

まずもって成り立ちが独特である。終戦直後、米軍がアメリカに沖縄の歴史文化を紹介するために開設した「沖縄陳列館」と、首里に戻った市民が首里城周辺の残欠文化財を集めて作った「首里市立郷土博物館」。このふたつがそれぞれ沖縄民政府に引き継がれ、その後合併して「沖縄民政府立博物館」となり、「琉球政府立博物館」、「沖縄県立博物館」を経て、現在の「沖縄県立博物館・美術館」となった。場所も石川から首里、そして現在はおもろまちへと転々としてきた。戦後から今日に至る歴史の中で、こんなにも名前と場所の変わってきた博物館は日本には他にないのではないか。

そこに展示されている「もの」たちも、ここに来るまでに非常に長い旅をしてきている。琉球王国時代に中国や日本に使者として派遣された人たちが各地で贈呈したもの、戦時の混乱の最中に米国に渡ったもの、そして戦前にハワイや中南米に移民した沖縄の人々と一緒に移民先に渡り、運良く「疎開」していたもの。展示のなかには、そのような国中・世界中に散らばった文化財を追跡して長年の調整の末に返還されたものや、研究を基に復元されたものも多い。

県民が集めた残欠文化財を保管しているのも、この博物館ならではかもしれない。戦後、明日の生活もままならない悲惨な状況の中で、なぜ人々は文化財のかけらを保存しようとしたのだろう。自分だけが生き残れた。あるいは生き残ってしまった。だからこそ「もの」を集めることで、ここに豊かな暮らしがあったこと、琉球王国という国が存在し独自の文化が花開いていたこと、つまり「誇り」が伝わり、戦後の世代の勇気となるようにと願ったのではないか。博物館の使命のひとつは、そうした人々の想いを継ぐこと。かつてその文化財を見たことがある人たちの証言をとり、彼らが生きているうちに復元させること、つまりその技術を蘇らせることだ、とある学芸員は語ってくれた。

そしてなにより。

総合博物館として発展し、地学、人類学、生物、考古、歴史、美術工芸、民俗と、自然科学から人文科学まで、沖縄に関するあらゆる「もの」と、それに通じる情報を集積していること。戦後75年になるこれまでに県民から寄せられた多くの資料や、学芸員の調査結果で収集してきた資料があること。その研究は、沖縄という東西約1000km、南北約400kmに渡る広大な海域と、有人・無人含め160もの島々からなる地域を対象にしていること。

これが沖縄県立博物館・美術館の魅力かもしれない。

沖縄県立博物館・美術館の仕事は、なにも通常の博物館事業に留まらない。ガイドでも紹介した「サキタリ洞遺跡」の発掘事業 では沖縄の先史時代を解明するための貴重な研究が続いている。また1970年代から録音された沖縄の民話のカセットテープをもとに、無形文化財である民話をコンテンツ化して発信する事業も行っている。

沖縄が持つ壮大な歴史と向き合い、そして今を生きる人々の想いに沿い研究に取り組む。それが沖縄県立博物館・美術館の学芸員の仕事なのだ。

「この話を始めたら何時間も、いや何日も止まらないよ」「宝物がありすぎる」「沖縄は島ひとつひとつの成り立ちも歴史も違うから、ひとくくりにはできない」

作成中、学芸員の方々から、何度そんな台詞を聞いたことだろう。

彼らの話を聞いていると、ガラス越しの「もの」が、急に物語を背負って輝き出す。日々研究や講演で忙しい彼らを館内で捕まえることは難しいかもしれないが、博物館を訪ねる際、もし学芸員によるレクチャーなどとタイミングが合うようであれば、ぜひ参加してみてほしい。このガイドよりもさらに面白い話が聞けるはずだ。








ON THE TRIP 編集部
企画:志賀章人
文章:寺井暁子
声:諸見里杉子 幸地松正








※このガイドは、取材や資料に基づいて作っていますが、ぼくたち ON THE TRIP の解釈も含まれています。専門家により諸説が異なる場合がありますが、真実は自らの旅で発見してください。

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