一体、何年ぶりだろう。忘れようにも忘れられなかった、わが故郷、美濃国。山並みや川の流れはあの頃のままだが、まるで知らない国に来たかのようだ。かつて「稲葉山」と呼ばれていた山は、今では「金華山」と名前を変えた。町の名も変わった。城下町の「井ノ口」に、織田信長様が新たに与えた名前は「岐阜」というらしい。岐阜の「岐」の文字は、周(現在の中国)を制覇した文王が「岐山」から兵を挙げて天下を取ったことにちなんでいるという。岐阜の「阜」の文字は、孔子が生まれた「曲阜」という地名から取ったと聞いた。

ならば、これは単なる偶然だろう。岐阜の「岐」は、我が明智家の本流、土岐氏の「岐」の文字でもある。岐阜という名を聞くたびに、胸の奥にかすかなやりきれなさを感じる。本来であれば、この国の主は土岐氏であることを、どうしても思い返してしまうからだ。

故郷を追われて越前(現在の福井県)に流れ着いた私は、足利義昭様の臣下となった。この乱世を終わらせるために、今一度将軍家の威光を示さねばならない。一度は仕えた朝倉家には申し訳ないが、今の朝倉家には、将軍の後ろ盾となって戦う力がない。だとすれば頼るべきは、織田信長様のほかにはいないのだ。とはいえ、「大うつけ」と呼ばれていたあの男。果たして義昭様を紹介するに足る人物なのか、この目でしかと確かめねばなるまい。


【解説】金華山の標高は329メートル。チャートと呼ばれる非常に頑丈な地層でできている。江戸時代から幕府の天領として伐採が禁止されており、豊かな自然が今も残されている。ロープウェーを使えば約5分の空中散歩だが、複数の登山道も整備されている。自らの足で登頂すれば、当時の人々の感覚を味わえるだろう。登山道の途中では、道三や信長時代に築いたとされる石垣などが見られる。

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