それにしても、信長様の居館には圧倒される。まず目を引くのは、その入り口に立ち並ぶ、巨大な岩の石組みだ。通常なら土、もしくは小さな石を基礎として使うところを、尋常ではない大きさの岩をそのまま配置している。その見事な重なりに息を飲んでしまう。一体、どれほどの石工が関わったのだろう。日差しを受けて光輝く飾り瓦には、贅沢にも金箔が施されている。牡丹の花びらを一枚ずつ覆う金……なんとまあ、手の込んだことか。
そして、何にもまして訪れる者の心を奪うのは、見事と言うしかない庭園だ。池には白い砂が敷かれ、その上を魚の影が涼やかに行き来する。池に連なる谷川は、もともと自然にあったかのように見えるが、なんと周囲の岩盤を削り、上流には巨石を積み上げ、渓谷に似せて造ったものだと言うではないか。そして、あの滝! 岩肌を流れ落ちるあの壮大な滝さえも、信長様が人の手で造らせたものなのだ!
谷川には山水画のように橋がかかり、周囲を屋敷が取り巻いている。武骨な武士の館ではない。まるで京の貴族が住まうような雅な館だ。同じように、京の文化を愛した道三様を思い出さずにはいられない。信長様も、道三様の素養を受け継いでいるのだ。
荘厳な庭や館は見る者をとりこにし、人の心をつかむ。それだけではない。こんな楽園を造り出せる男に対して畏れを感じさせる。自分をどう見せるかを演出し、恐れさせることで、無益な戦を避けている。信長様は、自分の住まう館でさえも、人の心を奪い、ひれ伏させる道具として活かす才を持っているのだ……。
【解説】永禄12年(1569年)に信長を訪ねたポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスは、この居館を見て「宮殿」と表現した。フロイスが祖国に送った手紙には、信長の栄華を表したこの宮殿は「地上の楽園」であり、美濃の人々はこれを「信長の楽園」と呼んだ、と記されている。
建造物は残されていないが、人々を圧倒させた巨石列の一部は現在でも見られる。高さ35メートルの岩盤から流れ落ちる庭園の滝は、現在再現実験が実施されており、毎日9時から17時の間、毎時00分から15分まで滝の水が流される(2020年12月末まで)。
当時の居館の様子は、大河ドラマ館でVR映像として放映されている。