天誅組、新十津川町、二度の大水害。断片的な物語が林業を通してひとつにつながる。木々の記憶に囲まれて思いをはせる十津川村の今。

東京23区の面積を上回り、日本にある189の「村」のなかで日本一の広さを誇る十津川村。その96%を山林が占めるこの村は、山の木々とともに歴史を刻んできた。

1889年8月(明治22年)、十津川村は台風による大水害に襲われて、壊滅的な打撃を受けた。これがきっかけで、当時およそ1万人いた村民のうち、2667人が北海道に移住した(現在の新十津川町)という歴史的な一大事だった。十津川村村長の更谷慈禧さんによると、実はこの歴史の裏にも、山と木が絡んでいるという。

「ここは、江戸時代から木材を産出していた林業の村でね。1863年 (文久3年)に京都御所の警護に就いた時に300人もの住民を送り出したんですが、その出張旅費も、自分たちの山の木を売ったお金を当てたと言われています。その結果、どんどん木が切られて、地力が落ちた。その数年後に台風が来たことで、大水害につながったんだと思います」

この後、国内で木材の需要が増したことで十津川村の林業は活性化。道路が整っていなかったため、伐採した木材を川に流して中継地で筏(いかだ)に組み、それに乗って川を下って集積地の新宮(和歌山県)まで運んだという。十津川村には、伐りだした木材を中継地に運ぶ人が、サーフィンのように丸太の上に乗っている写真が残っている。

「台風が来た時に木材が流れてしまうことがあるんですけど、木材には刻印があるので、運よく拾ってもらえたら新宮から連絡が来るんです。それで輸送の経費が浮いて、大儲けした業者もいましたね。そうやって儲かった人が新宮の飲み屋街でどんちゃん騒ぎをして、儲けた分、全部使ってしもうたという話を聞いたことがあります」

第二次世界大戦が終わると、日本の戦後復興と経済成長が始まって、十津川村の林業は最盛期を迎えた。搬出業者は約150社にまで増え、1963年(昭和38年)には木材の生産が年間25万立方メートルに達した。

ところが昭和50年代に入ると、海外から安い木材の輸入が急増。その勢いはすさまじく、十津川村の林業は急速に低迷した。

そのまま時は流れ、迎えた2011年9月(平成23年)、台風12号がもたらした強風と大雨によって、十津川村は再び大きな水害に見舞われた。大規模な土砂崩れで道路が寸断され、家屋が崩壊し、集落の一部が孤立。明治22年の大水害に匹敵する、深刻な被害だった。災害対策で「2カ月間、役場で寝泊まりした」という更谷村長は、この時に村の過去と未来についてじっくり考えたという。

「この頃はもう木材が売れなくて、ほとんどの山が放置されていました。伸びきった木が影になって山のなかが真っ暗になると、下草が生えません。それで地力が弱った結果、260ヘクタールの範囲で土砂崩れが起きて、川底が5、6メートル上がりました。もし、しっかり山の手入れをしていたら、ここまで被害が広がらなかったかもしれない。やっぱり山を守らなきゃあかんと感じて、村を挙げて6次産業化をやろうと決心したんです」

この当時、木材の生産量は最盛期の約90分の1、年間2800立方メートルにまで激減していた。その一方で、先人が植えた樹木は広大な範囲で伸び続けている。更谷村長はこの木材を伐って売るという従来の林業ではなく、村内で製材し、その木材で家具を作って販売することで、木材の消費量を伸ばそうと考えた。適正価格で木材を地産地消することができれば、荒れた山に手が入り、山を守ることができる。それが村を守ることにもつながる。

この思いを実現するために、災害前から計画されていた家具デザイナー、岩倉榮利さんとのコラボ「十津川家具プロジェクト」を強力に推し進め、十津川村の木材を使った家具・インテリアブランド「十津川リビング」の開発がスタート。また、十津川村復興モデル住宅2棟と、復興公営住宅13棟にも十津川材を使用し、話題を呼んだ。

さらに、更谷村長は林業を活性化させるために次々と手を打った。過疎と少子化による村内の小中学校再編事業で新設した十津川中学校、村立十津川第二小学校は、どちらも十津川産のスギとヒノキをふんだんに使用。

2016年には、「都会の人にも十津川材の良さを知ってもらおう」と、大阪のデザインイベント「まちデコール」に唯一の地方公共団体として参加し、天王寺公園内に十津川材で作った滑り台など木製遊具を置いた「十津川村公園」を期間限定で開園した。これが思いのほか好評で多くの人を集め、以来、毎年参加。2019年は期間中に1万人が訪れたそうだ。

こういった取り組みもあって、この10年で木材の生産量は年間2万立方メートルまで回復。木材の搬出業者の数も、2011年の2社から7社にまで増えた。また、木工職人の集まりで、「十津川リビング」の製作を手掛ける十津川木工家具協議会のメンバー3人のうち、3人ともがIターンでまだ30代と若く、少子高齢化の歯止めにもなり始めている。

この勢いをさらに加速させようと作られたのが、2017年にオープンしたカフェ・ギャラリー「キリダス」だ。これも岩倉榮利さんの監修で、村森林組合の製材・加工施設だったスペースを、十津川材を使って都会的なカフェに改装。「十津川リビング」と2018年に新しく立ち上げられたブランド「キリダス・オリジナル」の椅子やテーブルを配置して、訪れたお客さんが実際に使用できるようにした。

キリダスの運営を担当している中山直規さんは埼玉出身で、2016年に家具職人を目指して、移住してきた。現在は十津川木工家具協議会のメンバーとして2つのブランドの家具を製作しながら、もうひとりのメンバーと二人で、土日のみカフェの営業をしている。

「日本で作られている木製の家具は、ほとんどは輸入された木材を使っています。地元で採れた木を使うというのは珍しくて、そこに惹かれました。カフェは県外のお客さんがほとんどです。家具や小物を直に見てもらう場所があるのはいいですね」

十津川村に、おしゃれカフェはここだけ。十津川の木に囲まれた温もりあるスペースで、材木サーフィンの写真をはじめ、昔ながらの林業の写真を見たり、家具職人でもある店主に話を聞いたりしながら、こだわりのコーヒーで一服しよう。

林業で村を盛り立てる、更谷村長の「林業立村再興の夢」はまだ道半ば。しかし、時代の変化を感じ、手ごたえを得ている。

「最近は地方が好きという人も増えているし、自然とともに暮らすような生活にも注目が集まってきているでしょう。村の人には当たり前のことだから気づいてないけど、十津川村にはそれがあるじゃないですか。自然との共生が素敵やねという人が増えてきた今だからこそ、これからもう一度再スタートです」

Next Contents

Select language