菅原道真は幼いころから梅が好きで、5歳で詠んだ和歌も、11歳で作った漢詩も梅の歌だった。

そして、太宰府への左遷が決まったとき、道真は自宅でたいせつにしていた梅の木に、こう呼びかけた。

『東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ』

東風が吹いたなら、その香りを大宰府まで届けてくれよ、梅の花。主人の私がいなくなっても咲く春を忘れないで──そう呼びかけられた梅の木は、道真の後を追いかけるようにして、この太宰府まで飛んで来た。そして、この地で花を咲かせたという。

今でもそう。太宰府天満宮には6,000本の梅の木があるが、この飛梅がいちばんに花を咲かせて天神様=道真に春を告げている。

梅の木は本当に飛んで来たのか?

あなたは、雪がとけたら何になると思いますか?

雪がとけたら「水」になる。そう思うのなら、飛梅の話は理解できないかもしれない。

雪がとけたら「春」になる。

そう答えるのが日本人の感性なんです、と教えてくれた人がいた。

あなたは「梅の木が飛んで来るわけがない」と思ったであろうか。たいせつなことは、そこではない。

日本人は遠まわしに表現する民族と言われるが、だからこそ、言葉の裏側にある想いを想像できた。つまり、実存ではなく本質に。「梅の木が飛んで来るわけがない」と疑わずに、梅の木が“道真を慕う気持ち”に心を重ねることができた。そのため、現代までたいせつに語り継がれてきたのではないだろうか。

『東風吹かば〜』の歌には、こんな解釈もある。梅とは道真の弟子たちのことを指していて、「東風のように大陸から次々と新しい文化が押し寄せてくるが、弟子たちよ、自分がいなくても学問を忘れるな。」あとのことは頼んだぞ、と直接は言えないからこそ、遠まわしに伝えようとしたメッセージなのかもしれない。

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