正殿を抜けると、いわば大奥。国王のプライベート空間である「御内原」が広がっていた。

たとえば、正殿を背にして右手にある建物は「寄満」。キッチンである。その奥に見える建物は「二階御殿」。リビングである。その二階御殿とつながっているのが「黄金御殿」。国王と王妃の部屋である。

ここで、再び「後之御庭」に視線を戻してみてほしい。足元に「建物の跡」を表示してあるのがわかるだろうか。そこにはかつて「世添殿」という建物があり「王夫人」が暮らしていた。そう、国王には王妃のほかに王夫人がいた。王妃が御内原のトップとして君臨し、その下で王夫人はたくさんの女官たちを管理したという。

士族の女性からなる御側御奉公(うすばぐふーくー)が自宅からの通いで王妃や王夫人の身のまわりの世話をしたのに対し、国王の世話をしていた女官たちが暮らしていたのが、左手に見える「女官居室(にょかんきょしつ)」。女官たちの多くは住み込みで働いていたといわれている。

御内原で仕える女官の多くは、ふつうの農村の娘であったという。

彼女たちは「村でいちばん気が利く」と推薦されて首里城に出稼ぎにくる。そして、先輩から厳しい教育を受けながら成長。やがて言葉遣いや立ち振る舞いに秀でたものは「あむしられ」と呼ばれる役職に出世した。あむしられの中でも最高位は「大勢頭部(うふしどぅび)」。大勢頭部になると国王の近くで働くことができ、絶大な影響力を持つ。その権力には男の役人たちも畏怖したという。
とはいえ、たいていの女官は下働き。通用口にあたる「淑順門」から御内原に入場してからというもの、毎日が女の世界で、城の外に出る機会も少ない女官たちは、ふいに目にした男の姿に恋心を抱くことも少なくなかったようだ。

たとえば、「赤田門(あかたじょう)や 詰まるとも 恋ひしみもの門(じょう)や つまて呉(くい)るな──継世門は閉まっても構わないが、恋を運ぶ淑順門は閉まらないでほしい」そんな琉歌も残されている。また、ホームシックになった女官はときに城の石垣から顔を出して外の世界を見下ろしていたとか。眼下には円覚寺があり「ぼんやりと想いを馳せる女官に向かって、お坊さんが手ぬぐいを振っていた」というような琉歌も残されている。

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