寄満はキッチンである、と紹介した。寄満という字は「物資が寄り集まって満ちる」というようなイメージだろうか。とくに穀類には霊力が宿るといわれ、国王はそれを食べることで生命力が増し、国家が栄える。そんなふうにも考えられていた。
寄満では、おもに国王やその家族のための料理が作られていた。国王が日常的に食べていたのは、いわゆる琉球料理なのかといえば、そうでもない。薩摩で修行を積んだ料理人が調理したとの記録もあり、和食に近い食事も親しんでいたと考えられている。
国王が和食も食べていたとわかるのは、琉球王国末期の「献立の記録」が残っているから。しかし、伝統的な琉球料理の記録は多いとはいえない。時代の移り変わりとともに食生活も変化してきたが、現在の沖縄料理の節々でその伝統を感じることができる。ちんすこうや、くんぺんなどのお菓子から、「鳴き声以外は全部食べる」といわれる豚肉料理まで。和食でも中華料理でもない沖縄料理として現代に生き続けている。
ところで、女官たちの食事はといえば、ほとんどが自腹であった。毎月、給料として米が支給されるのだが、そこから切り崩して食べていくことになる。そこで、女官たちはみんなの米を集めてシェア飯をした。が、おかずがないので、寄満から調味料をわけてもらったり、国王一家の食事のお下がりをもらったりして、なんとか食いつないでいたようだ。冊封使が来るようなイベントの残り物や、法事のような儀式のお供え物も頂戴していたといわれ、なんとも慎ましい食生活である。