アザナとは、展望台のこと。東のアザナは首里城でいちばん東の、いちばん高い場所にある。
ここから、正殿から御内原までを一望できる。それだけではない。広福門、漏刻門、瑞泉門、歓会門、守礼門と、首里城の外まで続く道のりが見渡せる。そして、その先には那覇港が、那覇の街が見下ろせるのである。
さらに驚くべきことに、東の方向に「久高島」の姿を拝むこともできる。久高島とは「はじまりの島」。海の彼方の神の世界「ニライカナイ」から、島づくりの命を受けた神様「アマミキヨ 」が最初に降り立ったといわれる神聖な島である。東のアザナから見える風景は、琉球王国の450年、いや、それより古くからの悠久の歴史を一望できる奇跡の光景なのだ。
そして、現在。琉球王国の終焉から100年以上が経ち、那覇の街はビルが建ち並ぶ大都会となった。その上空に飛行機が飛び立っていくかと思えば、港にクルーズ船が乗り入れている姿が見られるかもしれない。しかし、目を閉じてみてほしい。この場所を通り過ぎていく風は昔と何も変わらない。乗り物は違えど、島の外からたくさんの人が出入りする風景、沖縄が世界に開かれた交易の島であることは、今も昔も変わっていないのだ。
中国の影響を受けた平安京は南北を軸として建物がある。しかし、中国をよく知っているはずの首里城が南北軸ではない。東西を軸にしているのである。これは、琉球独自の太陽を軸とした信仰のあらわれではないか、という説がある。
東のアザナから東に見える久高島の、さらに東の方向にニライカナイがあるとされているが、東の方向とはつまり、太陽が登る方向のこと。東西を軸にしている首里城もまた、太陽を背にして正殿が建ち、太陽を背にした国王に、臣下がぬかづく。そして、その下に那覇のまちが広がり、琉球から日本へ、中国へ、アジア各地へ行き交う船が見渡せた。
この光景が持つ意味はなんなのか。首里城は琉球王国450年の歴史のうちに3度、焼失した。それでもなお、東を背にした西向きに正殿を建て直し続けた。それには、どんな想いが込められていたのだろう。
あなたが首里城の旅で体感したのは、琉球王国時代の人々が感じていたのと同じスケールだ。急な階段があったり、建物の天井が低かったり、正殿の中が暗かったり。そして今、東のアザナを吹き抜ける風を感じていることだろう。だからこそ、想像はふくらんでいく。この場所でしか感じられないことがあるはずなのだ。
ところで、このガイドで描いてきた琉球王国の450年、その当時、那覇ではなにが起きていたのか。それについては別ガイド「旧那覇クロニクル」を見てほしい。