集落の原風景が残る場所。

瀬戸内エリアには実に727の島がある。太古には山々のある陸地だったところに、海が流れ込んだのだ。とくに男木島を見ると、それを体感できる。島の形は、瀬戸内エリアによく見られる、平野の中にぽこぽこと突き出している山の形とよく似ている。

この男木島、集落の暮らしの風景が、過疎化によってさびれてしまうことなく、健全に残っている島でもある。実に島の住人の3割が外からの移住者。若い人が増えたことで、最近になって図書館、保育所、小学校、中学校、ビストロまでもが相次いでオープンしているのだ。

なぜ男木島に人が集まるのか? 移住者に聞くと適度な距離感がありながらも、必要な時は助け合う空気感に惹かれたという声が多い。では、なぜ助け合う精神が強いのだろうか?

男木島に長く住む人によれば、助け合いの精神が育まれてきた背景には二つの理由が考えられるという。一つは、この島があまりに小さくてひとつしか集落がないこと、そしてもう一つがこの「山の地形」だ。山肌にびっしりと並ぶ家々の間をぬうように続いていく細い道は、もともとは石畳の階段で、車などは使えず、全てのものを手で運ぶ必要があった。たとえば誰が家を建てる時には、山の上の松林から木を切り倒して、人力で港まで運び、高松で加工して戻ってきた材を、また斜面の途中まで人力で運ぶ。昔は港に船が着くと、大人たちが丸太をつり、子供たちも瓦を頭に乗せて、まさに集落一丸となって運搬を手伝う光景が見られたという。石畳が道路になった今も、自動車などは通れないため、助け合いは欠かせない。

島に「公力」という言葉がある。島のみんなで知恵と力を出し合うという意味だ。とれた野菜や魚は分け合う。台所にだれが置いていったのかわからない野菜が置かれていることも日常の光景。古き良き時代の話、と思われるかもしれないが、男木島ではいまでも助け合いの精神が脈々と続いているのだ。

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