山縣有朋公は、現在の山口県、長州は萩の下級武士の家に生まれました。萩は一方が日本海に面し、三方を山に囲まれた町です。山から注ぎ込む阿武川は、ちょうど町に差し掛かるあたりで分岐し、松本川と橋本川に分かれます。その様子はまさに、この椿山荘の庭園と一致します。流れる水は阿武川の支流のように庭園をぐるりとめぐり、神田上水へと流れ込みます。神田上水の先には、日本海に見立てた早稲田が広がっているのです。山縣公はまさに、水景によって遠い故郷をこの東京の地に再現したのです。それは、この東京に故郷の姿を発見した、とも言えるのかもしれません。

山縣公が見立てた幻の海は、実は1万年以上昔の縄文時代には、本当にこの場所に広がっていました。当時、気候の変動により、海水面は最大で現在よりも3メートルから5メートルも上昇していたと考えられています。この頃、現在の椿山荘の崖下までが東京湾の入江となっていたのです。椿山荘のある文京区は、今は海とは離れていますが、発掘された縄文の遺跡からは海辺の暮らしを思わせる貝塚などが見つかっています。ちょっと離れたところから、庭園の全景を眺めて見ましょう。あなたにもきっと、幻の海の姿が感じられるはずです。

庭園は、人の手によって造られた限られた自然です。しかしその中に、巨大な世界観を描くことができるものです。そして、ゆるやかな時の流れさえも、時代を超えて私たちに伝えてくれます。忙しい毎日に押し流されてしまいそうになったら、またこの場所を訪れてみてください。いつでもゆるやかな時の流れが、あなたをこの場所で待っています。

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