「ツグジさん」
秋田市民のなかには、藤田嗣治のことを親しみを込めてこう呼ぶ人も少なくない。フジタが壁画制作中に通った店「A1(エーワン)」のママもその一人だ。

A1は1935年にカフェーとして秋田でいちばんの繁華街・川反の一角にオープン。当時「女給さん」と呼ばれた女性従業員を30人ほども抱え、大きなダンスホールを備えた社交場だった。絵心があり、看板デザイナーとしても活躍していた店主の周りには自然と文化人が集まり、「A1」は当時の文化的サロンの役割も担っていたようだ。店舗は1970年代に現在の場所に移転するが、初代の店主が下絵を描いたという木彫の壁画は現存するので、その迫力の作品をぜひ見てみてほしい。

店内には、ここでしか見られない貴重なフジタの痕跡もある。それはマッチ箱に描かれた小さな絵だ。当時、カフェーの女給さんたちが名刺代わりに配っていたというマッチ箱。どういう経緯があったのか、フジタがA1のマッチ箱のデザインを描いたようなのだ。フジタの絵とサイン、それにきちんと店名「A1」とレタリングされたマッチ箱。そこには女給さんの名前と思われる文字も書き込まれている。

「とある骨董屋さんが『このマッチ箱はツグジさんが描いたものだから、ツグジさんゆかりのこの店に飾るべきだ』とマッチ箱の複写を持ってきてくださったんですよ」とママはいう。他にもフジタがA1を訪れた際に撮った写真など、フジタが確かにここにいたのだ、という生きた歴史を目にすることができる。

「A1」は今は洋食屋になっており、当時フジタも食べたと言われる「タンシチュー」や「ビーフシチュー」を味わうこともできる。

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